言い方がきつい人や感情的に言う人から自分を守るにはどうしたらいいか考えた

言い方がきつかったり、感情的になって語気が荒くなる人は苦手だ。先日、強い口調で問い詰められて、「ぐぬぬ」となることがあった。


とっさに問われ、相手が何を言っているのかよくわかなかった。狼狽していた。そのとき感じた視線、きちんと言葉で言えない人を見下すような表情がたまらなく不快だった。


誰もが流暢に言語化できるわけではない。ましてや、強い口調で問い詰められると、平静でいられなくなる。人命にかかわるミスとか、とりかえしがつかないような失敗とか、そういうものでもないのに、何故そこまで強い口調で言うのだろう?と眉間にしわを寄せてしまう。


例えば、仕事上の責任問題に発展するから、だから問い詰めるのか。「仕事は甘くない」ということをわからせるために、キツく言うのか。まあ、そういう理由もあるかもしれないけれど、あとからゆっくり考えてみると、その人はそういう言い方、つまりキツい言い方になってしまう人なのだと、おそらく自分に対してだけでなく、他の人や他の場面でも声を荒げ感情的になっているのだと思う。その人はそういう人なのだ。そう思えるようになった。


もちろん自分のミスや失敗は謝るし、やり直したり対処したりするけれど、必要以上に落ちこんだり必要以上に自分を責めなくてよいと思う。


疲れていたり、その人自身の仕事やプライベートがうまくいっていなくて、イライラしていたりで、言い方がきつくなる場合もあるだろうし、でもまあ、その疲れやイライラはその人の問題だ。八つ当たりされるのはもちろん面白くない、というか不愉快だけれど、「ああ、そんなに感情的になるなんて余裕がないんだね。大変なんだね」と、そういう風に思うことで、だいぶ楽になった。


まとめると、
言い方がきつい人や感情的に言う人から自分を守るにはどうしたらいいか。
その人はそういう言い方が元々きつい人、感情的に言う人なのだと思うこと。
感情的になるのはその人に余裕がないから。大変だからだと思うこと。


感情的に言われたからといって、反射的に感情的に返せばケンカになりかねない。きつい言い方をされても柳の枝のように流して、相手が冷静さを取り戻したときに返事するのも有りだと思う。物理的に距離をとれるのであれば、距離をとるのも自分を守るひとつの方法だ。不快な気分にさせる人にはできるだけ近づかない。まあ一般的によく言われていることかもしれないけれど、一応忘れないようにここに書いておく。



やりたい仕事があるなら、少しでも若いうちに…。

年をとると1から全く新しいことを覚え、それを仕事としてやるのは、本当にたいへんだ。体力的にも若い頃のようにはいかない。
やりたい仕事があるなら、少しでも若いうちにチャレンジしたほうがいい。私は30代でチャレンジしたのだけど、正直遅かったなあと。


どうして20代でチャレンジしなかったのか。今更そんなことを言っても仕方ないのだけれど、ずいぶん遠回りをしてしまったなあと、しみじみ思う。遠回りしたことを後悔はしていない。ブログに書くことはないと思うけれど、さまざまな経験を20代でしているので、それらの経験が30代での転職を決意させたとも言えるし、今になって思うと、20代でのさまざまな経験を30代でするのは、多分体力的に無理だと思う。


体力の問題は軽く見るべきではない。


あまり「べき」というのは好きではないのたけれど、ここでは「べき」を使いたい。普段から体を鍛えていないと体力は年々衰える。疲れやすくなり、また寝ても疲れがとれなくなる。体が俊敏に動かない。むしろ動くのが面倒になる。面倒になるから、体力はますます落ちていく。


まあ体力的には大変だけれど、精神的なものは年をとってからのほうが私の場合良い。例えば精神的な回復力。若いときのほうが落ちこみをひきずることが多かったけれど、今はひきずることがない。


精神的に安定したのは、転職したのも一因にあると思う。自分のベースになるもの、軸になるものがあると、安定するし、多少のことではブレなくなる。目標があるというのも良い作用を及ぼしていると思う。


目標があると安心できる。目標に向かって前を向いていられる。


もちろんいつもいつもうまくいくわけではないし、失敗もする。でもその失敗も経験値になる。失敗はそれを教訓にして、同じ失敗をしないようにすればいい。


やりたい仕事があるならできるだけ若いうちにチャレンジを。でも「失敗したらどうしよう?失敗したら嫌だ」そう思うのなら、やめておいた方がいい。
私はうまくいかなくても、3年はその仕事をやめないつもりだったし、3年ひたすら続けて、それでも無理だと思ったら、そのときまた考えよう、と。


やりたい仕事があるなら、少しでも若いうちに。でもコロコロと転職するのは勧めない。まあよく言われることだけれど、「石の上にも3年」というのはよくできた諺だと思う。




落ち着いていること、感情的にならないこと。

いつも落ち着いていること、感情的にならないこと、これは特に上司やリーダーといった立場の人は心がけておくことだと思った。


金銭が絡むトラブルがあって、その場にいた上司は怒りまくっていた。対価を払おうとしない人、常識がない人はやはりいるものだ。上司は対価を払うよう説得したけれど、その人はあれこれ理由をつけて払おうとしない。あげくには「それはそちらの都合でしょう?私は払いませんよ」と、お金を払わせようとする会社側に問題があるかのように言い出す始末。お互い感情的にヒートアップして収拾がつかない状態が続いた。


最終的にはその問題を引き起こした人の古くから知り合いが、落ち着いた態度で、「払いたくないのもわかるけれど、この場合お金は払わなくてはいけない」と説得。説得している間、怖いくらいに感情はなく、ある意味そこがポイント(駆け引き)なのかもしれないけれど、毅然としていてすごいな、と。落ち着いている人は強い。感情的にわめく人が幼く見えてしまう。上司やリーダーといったその場をまとめる、統括する立場の人は常にどんなときも落ち着いているべきで、落ちついていてこそ最良の解決方法を提示できるのではないかと。


言うべきことをきちんと言葉で伝える。落ちついて、冷静に、感情的にならずに。


感情的になれば、相手も感情的になる。ますます泥沼化するということ。


落ちついている人、冷静な人は強い。さまざまな采配をふるう人は、いつも落ちついているべきだと思う。自分に言い聞かせるためにも、ここに書いておく。


毎日チェックしたい5つのこと

毎日チェックしたい5つのこと


1.食事は偏っていないか?
2.適度に運動したか?
3.寝不足ではないか?
4.やりたいことをやったか?
5.今日の自分は笑っていたか?


以前に似たようなことを書いたかもだけど、あらためて書いてみた。
1の食事は本当に大切。つい炭水化物中心の食事になってしまいがちなので、野菜多め、できればタンパク質もバランスよく!あと、食べ過ぎない!


2の運動は、本当毎日少しでも体を動かしたい。歩いたり階段を上り下りしたりは普段もするけれど、それだけでは筋力は落ちていくばかり。腕とか特に。うちにあるダンベルをもっと活用したい!


3の睡眠は、体力回復のために必要で、あとは睡眠が足りてないとすぐに精神的余裕がなくなってしまうので、やっぱり重要。私の場合疲れやすい体質なので、やっぱり睡眠は軽んずべらかず。「疲れたら寝る」を心がけたい。


4のやりたいこと、やりたい!仕事ももちろんやりたいことなのだけれど、それだけで1日が終わってしまうのは、なんだかね……。本も読みたいし、音楽も聞きたい、ドラマも映画も見たいし、語学の勉強もしたい。1日ひとつはやりたいことをする自分の時間をもちたい(願望)


5の笑うこと。これは大事。声を出して笑いたいし、日頃から楽しいことを考えて、かつ実行したい。シリアスなのは苦手で、それよりはファンシーなほうが好き。おちゃらけ、とはまた違うんだけど、まあ似ていなくもない。イージー、気楽な感じが好きなのかも。


夜眠るとき、上記5つのことを振り返りながら、
「あー疲れた、でもやりたいことやれたし楽しかった」とか思いつつ眠りにおちたい。



転職。前職の鎧を脱いで、こだわりすぎないということ。

今、転職活動をしているけれど、転職先がなかなか決まらない人がいて、話を聞くと働く際の条件がいろいろあるようで、それじゃあなかなか決まらないのも無理はないと思った。一社から内定をもらったけれど、ひとつ譲れない条件が満たされなくて、内定を辞退したとのこと。そこまで条件にこだわるのは、どうしてだろう。転職を真剣に考えているから、とも言えるし、それだけの条件を並べるのは自分に自信があるから?条件をすべてクリアする会社がどこかにあると思うから?私はその人ではないのでよくわからないけれど、前職でバリバリ働いていたという自負(プライド)がそうさせているんじゃないかな、と。



でも、前職は前職で、労働条件はその会社その会社で違うものだし、前職の条件より良い条件を求めるのもわかるけれど、その人の場合、基本的に新人と同じ扱いで雇われるタイプの転職だから、前職のことは忘れて、1から覚えるつもりで……と思うのだけれど、その人は「これまで自分はこういう仕事をやってきた」「自分はこういうスキル(技術)があるんです」「だから、これとこれの条件だけは譲れないんです」という気の強さが見え隠れして、なんというか、その強さが転職を難しくしているのではないか、と。


スキルや経験はある人なので、会社としてはほしい人材ではあるけれど、でも働く前からあれこれ条件を出されると、雇いたいとは思わないのではないだろうか。



もちろん、自信がなくて、「この人ちゃんと仕事できるの?」と不安になる人よりはいいかもしれないけれど、上で書いた人のように前職の鎧を着たまま対峙されても困るのが雇う側の本音だと思う。


鎧を脱いで、まずはそこから。


私の経験からすると、転職したら、0になると思う。それまでの経験やスキルは多少は役にたつこともあるかもしれないけれど、基本的には丸腰になると言っていいと思う。ルールは会社によっていろいろだし、新たに防具や武器を見つけて、自分なりの戦い方をひとつひとつ身につけていくしかない。初めてのことばかりで失敗もするし、痛い思いをすることもあるし、悔しいこともある。でも、まあそういうのはたいてい一過性のものだから、気にしないほうがよい。雨の日や嵐の日はあるものだ。うまくいかない日もある。疲労困憊して泣きたくなるときも。でも、それに振り回されてしまうのは、よくないと思っている。体や頭の力を抜き、楽になること。ゆるめること。こだわりすぎないこと。


転職したら何もかもが変わる、人生が薔薇色になる、なんてことは、まずないと思う。転職したらしたで、苦労は出てくる。だからこそ、転職先の条件にこだわるのかもしれないけれど、こだわりすぎると、うまくいかなくなると思う。まあ、縁とかタイミングもあるし。今思ったのは、一方的においしい情報(例えば求人情報とか)を欲しがる人は、敬遠される。なにか情報を引き出そう引き出そうとガツガツキリキリしている人には近づきたくないと思うのは、私だけではないはず。


で、言いたいことを一文にすると、転職は、前職の鎧を脱いで、こだわりすぎないということ。そんな感じかな。転職は、本当にケースバイケースなので、ここに書いたことが参考になるかどうかわからない。でもまあ残しておくことにしよう。



助けてくれる人があらわれて思ったこと

仕事で「ああ、もうどうしよう」ということがあったのだけれど、そういうとき、絶妙なタイミングで助けてくれる人があらわて、本当に救われた。涙がでるくらいありがたくて、何度もお礼を言った。


ひとりで何でもやりたいタイプな私だけれど、どうしようもなく困ったときは助けを呼んで、自滅しないようにしたほうがいいと思った。ひとりでできることには限界がある。もちろんがんばるけれど、がんばってもどうしようもないこと(仕事が終わらない、問題が解決しない、など)はあるものだ。


今回助けられて思ったのは、私も助けられる人になろうということ。そのためには、まずは自分の仕事を手際よく終わらせなくてはいけないし、技術的にも「できること」を増やさなければいけない。仕事の幅ももっと広げる必要もあるだろう。


まだまだ未熟。まだまだ改善の余地が数え切れないほどあって、だから長い時間を走り続けるつもりで、時に休憩しつつ、リフレッシュしつつ、コツコツと・・・というのがよいかもしれない。


コツコツと続けられるのは自分の長所でもあるので、これからもブレずに続けていこう。
私も助けられる人に。いざという時、必要とされる人になりたい。




本当に苦しいときは弱音を吐いていい。

久しぶりのブログ更新だ。
書けなかった理由は「忙しかったから」というのと「時間があれば寝ていた」というのが挙げられる。


忙しいのにどうして寝る時間はあるのか。


私は忙しいときこそ努めて「寝る」べきだと思っている。


忙しいと疲れるしストレスも溜まる。疲れたら寝るのが一番だと思うし、寝ることはストレス解消になる。実際、毎日眠くて眠くてしょうがなくて、時間があれば寝られるだけ寝ている。特に今月はかなり大きな失敗をしてしまって、その失敗を思い出しては逃避的に眠っていた。


失敗したのは自分がいたらなかったからだ。情けなくて泣けてくるし、でも、失敗は今更どうしようもなくて、消しゴムで消すようには失敗の記憶は消えてくれない。いっそ修正テープを貼って、そこだけ書きなおしたいくらいだ。まあ、そんなことはできないのだけれど。でもまあ、ポジティブに考えると、ここまでの失敗はなかなかできないものだし、今回のことで同じ失敗はもうしないだろうから、良い経験になったとも言える。


失敗してつらかったのは、一言で言うと孤立無援感。
失敗について、誰かに話をすれば慰めてくれるかもしれないけれど、でも誰に話をしていいかわからない。どうしてそういう失敗をしたのか、それは自分が一番わかっているし、誰かに話したとしても、「そういうこともあるよ」と言われてしまいそうで、でも「そういうこともあるよ」で済ませてしまいたくない自分がいる。失敗によって現れた壁も、最終的には自分でどうにかするしかないのだけれど、どうしたらいいのかわからないでいる。そんなすぐには好転しそうにない自分の状況は一言でいうと「苦しい」。


苦しいから「睡眠」に走る。やることはいろいろあるのに「寝る」。そんな自分に苛立つ自分がいて、正直いってどうしたらいいかわからない。


タイトルに書いたけれど、「本当に苦しいときは弱音を吐いていい」と、自分に言い聞かせたい。


弱音を吐いたらカッコ悪いとかバカにされるとか、そういう風に思ってしまいがちだけれど、いろんなものをためこみすぎて、限界を超えて壊れてしまうよりは、弱音に吐いて少しでも楽になったほうがいい。人は完璧ではなく、誰でも弱い部分を持っているのだから、弱音を吐くことは恥ずかしいことではない。


気持ちを整理するためにも「書くこと」はよいことだと思う。苦しいけれど、必要以上にシリアスにはなりたくない。大事なのは、前を向くこと。つらくても前だけは見ていたいと思う。