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年をとってると雇いたくないという意見

いくら経験があっても、年をとっていると雇いたくないという意見を聞いた。
「えっ、経験がある人のほうがいいでしょ?まったくの新人よりも即戦力になるし」と私は思うのだが、まぁその職場の平均年齢よりも相当上となると、やはり年上ということもあるし、扱いにくくなるのだそうだ。
そして、ある人いわく「年をとってると、だいたい頑固になってるし、ずうずうしい人が多いし、加えて自分の経験を鼻にかけていたり、プライドが高かったり、上司が自分より若いと素直に従わなかったりするし、とにかくね、扱いづらいんだよ」と。


まぁ、その人が言うのも一理あるなぁと思うわけで、そうなると年をとってからの再就職や転職はかなり厳しいということになる。


雇う側の理屈は絶対だ。
こればかりはどうしようもない。


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これまでいくつも転職関連の記事を書いているけれど、年齢の壁というのはそれまでさほど意識していなかった。資格があれば、経験があれば、なんとかなるんじゃないかとそう思っていた。でも、ある人の、経験があっても(資格があっても)、年をとっている人は扱いにくいから雇いたくないというその意見も、私の経験からしてわからなくもない。自分よりも年上の人が本来やるべき仕事を、なんだかんだとうまく言いくるめられて、押しつけられたことがある。「若い人はやっぱり仕事がはやいわよね」などと後から言われたけれど、「いや、そんなうまいこと言って、単純に自分がその仕事をしたくなかった。残業したくなかった。ただそれだけのことでしょ?」と言い返したかったが言い返せず悔しい思いをした。年をとっている人が皆そういうわけではないのだけれど、老獪という言葉も昔からあるわけだし、まぁ、一度仕事を押し付けられてものすごく大変だったので、以後術中にはまらないよう細心の注意をはらっている。


年をとっていても謙虚で尊敬できる生き方をしている人もいる。私もそうなりたい。融通がきく、臨機応変さがある人になりたいし、いくら忙しくても後輩に仕事を押し付けるようなそういう人にはなりたくない。


ある程度年をとってしまうと自分というもの(スタンス)が固まってしまって、自分でもなかなか変えられないというのはあるように思う。しかしながら、それが周りが迷惑を感じるような、眉間にシワを寄せてしまうような、そういう固まり方はしたくない。となると、自分をちょっと離れたところから客観視する時間を持ったほうが、自分の固まり様に気づけていいかもしれない。


うまくまとまらなかったけれど、長くなってしまったので、このへんで。



苦手なことから逃げないということ

日常や仕事において、どうしても苦手なことはやはりあるものだ。
その苦手なことを苦手なまま放置することで、余計につらくなったり劣等感にさいなまれたり、自分で自分がイヤになることも、ままある。


「苦手なものは苦手でしょうがない。なんでも完璧になんてできないよ」
そう言い聞かせるものの、でもやっぱり苦手なものをどうにかしたいと思ってしまう。


特定の一個人に対してはっきり意見するのが、私が特に苦手とすることで、「ここははっきりその人に言わなきゃダメっしょ!」という場面で言えなかったりする。言ったことに対する相手の反応や影響が怖い、良い方向に向かえばいいけれど、相手を傷つけたり、逆上させたり、そういう結果になることも可能性としてはあるわけで、まぁカジュアルな言葉で言えば、「へたれ」なのかな、と。


今、相手に自分の意見を伝える際の好ましいやり方をいろいろ考えている。
例えば
・「ちがう」とか「だめ」とか、否定する言葉からはじめない。
・あれも、これも、それも、と連続でまくしたてない。
・曖昧に意見されても、なにを言われているかわからなくてイラッとなるものだから、できるだけ明確に具体的に簡潔に言う。


もっとも、最後の「明確に具体的に簡潔に言う」これは本当に難しくて、自分の意見を言語化した場合、なんというかあまりにも露骨な、身も蓋もない言い方をしてしまうのは、私としては好きではない。やんわりと、しかしながら相手に確実に伝わる、そんな言い方はないのだろうか。


黙っていても伝わらない。言うべきときにはきちんと言う。それはわかっている。わかっているけれど、人に対して面と向かって意見を言うのは苦手だ。苦手なものは苦手。でも、そろそろその苦手をどうにかしたい。苦手なことからずっと逃げている自分をどうにかしたい。


他にも苦手なことはあるけれど、逃げずに対処していきたい。何もしないでいれば、その何もしない自分を責めて、落ちこんでしまうだけだろうから。





仕事を面白くするのは、自分。

うまくいかなくて、つらいと思うことも多々あるけれど、でもまぁ仕事というのはそういうものだと割り切って、次の仕事にとりかかる。気持ちの切り替えは本当に大事だ。
とにかく
・手抜きをしないこと
・細かいところを見つつも、全体や流れを見ること
・仕事のゴールを意識すること(ゴールを設定すること)
この3つをいつも頭においておくとともに、なにより、思わぬことがおきても慌てず、冷静に対処する「保険」を容易しておくのも大事なことだ。「備えあれば憂いなし」というのは仕事についても言えることで、とにかく早めに準備しておくことだと思う。


仕事をしていて「これでいいのかな」と思うときもあるけれど、でも、そこで止まってしまうと動いている仕事に支障がでてしまう。なので、私は悩みつつも動く。自分を信じて、あれこれ迷わず、とにかくやってみる。
自分がいいと思うやり方でやるほうが、最終的には納得するものができるし、仕事の種類にもよるけれど、いちいち周りに「これでいいでしょうか」「これはどうやったらいいでしょうか」と聞いていられないのが現実で、やはり皆それぞれに自分の仕事で忙しく、入社1年目の新人でもない以上、自分の仕事は自分でどうにかするのが働くということなのかな、と。いちいち上司におうかがいを立てないといけない仕事というのも、まぁあるのだけれど。


で、タイトルにも書いたのだけれど、仕事を面白くするのは自分で、仕事を面白くするもしないも、結局は自分次第じゃないかな、と。


どうせ仕事をするのなら、とことん面白くやってやろうじゃないか、と最近思っている。仕事の結果というものはすぐには現れないものだけれど、まぁそんなもんだよね、と思えば、鷹揚になれるし、なにより仕事に打ち込んでいるあいだは他のことは忘れていて、仕事に集中しているその没頭感が気持ちいい。これに達成感が加われば、やっぱり仕事は面白い、となる。没頭感と達成感を味わえる仕事というのは、天職と言ってもいいんじゃないかと思うのだけれど、天職で食べていける(生活していける)かどうかはまた別の問題で、まぁそれについては、いつか書けたら書いてみたい。




相手のことを考えながら説明するということ

相手がどれくらい知っているかとか、どれくらい知りたいと思っているか、そのあたりを見極めておかないと、説明してもわかってもらえない、説明が徒労に終わるというのは、何度も経験してきた。


専門用語を知らない相手に専門用語を使うのはできることなら避けた方がいいし、もし仮に使わなければいけないなら、専門用語の説明をしなければいけない。


相手はこれくらい知っているだろうと思って話していたら、全然知らなくて、キョトンとされたこともある。


実は私は説明は苦手だ。言葉だけで説明するのは限界があると思うし、むしろ絵に描いたほうがわかってもらえる場合も多々ある。


私は絵を描くのは好きだし得意なほうだと思うけれど、でも、その絵を見てわかる人ばかりでもなく、絵を見て判断、解釈するのが苦手だという人も実際いる。絵自体がわかりにくいとか、下手だとかそういう場合もあるけれど、絵が意図することを汲み取れない人、意図することを曲解してしまう人がいるのも確かで、絵が説明伝達の万能ツールでないことを最近思い知らされたばかりだ。


どうすれば、相手に伝わるのか、わかってもらえるのか、考えこんでしまう日々が続いている。長々と説明されてうんざりしてしまう人がいる話は最近ブログで書いた。一方で、言葉が足りなくて伝わらないこともあるし、言葉が足りなかったせいで相手が的外れな憶測をしてしまうこともある。よくわからなかったことを勝手に想像で補足して解釈理解してしまうというのは、まあ私も時々してしまうことなのだけれど、そういうとき、だいたいその解釈は間違っている。想像は事実とはたいてい違うものた。少ない情報で理解するのは難しく、誤解を生むものだと、これもまた最近思い知らされたことだ。


ともかく、伝えたいのであれば、相手のこと、相手の状況、相手の知識の有無など、考えながら説明するしかない。説明の順番も大事だし、もしかしたら結論から先に言ったほうがいいケースもあるだろう。また、相手が欲している説明かどうかも気をつけたい。わかっていることを延々と説明されるのは苛々するもので、的はずれなことを説明されるのも苦痛のなにものでもなく、説明の最中、相手の反応、様子をよく見るのは大事なことだと思う。そして、上から目線で説明していないか、早口になっていないかも気をつけたいところ。


相手のことを考えながら説明するということ。
それは、なかなか難しく、奥が深いことだ。
うまく説明できなくて、凹むこともあるかもしれないけれど、それでも言葉を使って、時には絵を使って、めげることなく説明していきたい。



つたなく、ありきたりで、ひとりよがりということ

ふと思う。
自分の書くものはとてもつたなく、ありきたりで、ひとりよがりなんだろうと。


凡庸さを誤魔化すために無理やり厚化粧したくはないし、塗りこめる手間ひまをかけるのもめんどうで、なんというか、努力を放棄したというか、これまでいろいろなこと(ブログ以外のことも)を頑張りすぎた結果、疲れすぎて無気力になってしまったのだと思う。


最近、味を感じないことが多い。100%のりんごジュースを飲んでいて、全くりんごだとわからなかった。少し甘い水を飲んでいるようだった。塩味のものも同様で、味噌汁もつい味噌を多く入れてしまう。が、多く入れたところで、味が変わってたように感じられなくて、唖然とした。


味覚がおかしくなったのは疲れやストレスのせいだと思う。
味を感じられないというのは本当に虚しくなることだ。



自嘲混じりの溜め息をつきつつ、キーを打つ。
つたなく、ありきたりで、ひとりよがり。


しかしながら「それじゃダメなんだよね」というような自分否定モードには入りたくない。大丈夫。まだ改善の余地があると。



でもまあ、今は味覚がおかしかったり、超絶肩こりだったり調子がよくないので、とりあえず、今できることをする。それしかない。


自分を無理に良く見せなくていい。とりあえず、今の自分はこんな感じだけれど、でもまあ、そのうちなんとかなるだろう。年末年始はゆっくり休みたい。



私がはてなスターを外した理由

はてなダイアリーからはてなブログに移行して、なんとなくはてなスターを設置していたのだけれど、最近外した。
理由は、スターの多い少ないで一喜一憂したくないから。
ウケる記事やアクセス数が増えそうな記事を殊更書こうとは思っていないので、スターもはてなブックマーク数も二桁いくことは、ほとんどない。私はプロのブロガーでもないし、趣味で書いているブログなので、それでいいと思っている。


そうは言っても、以前、はてなダイアリーで書いていた頃は認められたいとか、多くの人に読んでもらいたいとか、そういう気持ちもあった。多分承認欲求を満たしたかったのだと思う。憑き物が憑いたみたいに日に何度も更新していたこともあった。


が、ある時期を境に、ブログへの執着が激減した。憑き物が落ちたと言ってもいい。


憑かれたように書いていた自分は今の自分とは別人のように思えて、正直9年もブログを続けていたという実感がまるでない。今では承認欲求は仕事のほうにシフトして、仕事で認められたいと、その一念で頑張り続けている。……否、認められようが認められなかろうが、私は自分の仕事をする。地道に続けていくうちに認めてくれる人も出てくるだろうし、何より自分で自分の仕事を認めたいと思う。


他者に承認を依存するとその承認が得られなかったとき落ちこんでしまうし、何よりも他者の承認、評価軸に振り回されてしまう。それは嫌だ。前にも書いたかもしれないけれど、自分のペースで、コツコツと、感情や気分に左右されない(ブレない)仕事をしたい。結局のところ、ブログも同じで、読んでくれる人は読んでくれるだろうし、まあ、はてなスターはいらないかな、と。


確かにスターをもらえたら、嬉しいけれど、でも書いてもゼロのときもある(ゼロだと少し凹む)ので、それなら、最初からないほうがいいかな、と。スターに関するスタンスはなかなか複雑で、承認欲求もまったくなくなった、というわけでもないし、そもそもこうして書いていること自体、承認をもとめているのかもしれない。


ただ、思うに、より多くの人から承認されたい、評価されたい、というより、承認してほしい特定の人に認めてもらえて、評価されることのほうが、難しいけれど、自分が欲していることのように思う。


まあ、欲しがっても欲しがっても、得られるとは限らず、それなら、いっそ最初からあきらめた方が、心理的には落ち着いていられるのかな、と。



話好きで、敬遠されている人

話すのが好きだと言う人がいる。知識も豊富だし、雑学もいろいろ知っている。プレゼンも得意そうだ。
でも、話好きが高じて、ついつい話が長くなる傾向があって、それが問題になった。クライアントのひとつの質問に対して、えんえんと説明し続けたそうだ。


「いや、そんなに長々と説明しなくても、まぁだいたいわかったから、それでいいから」というのが先方の本音だろう。これまでも何度も長話を我慢して聞いていたらしく、クレームが来た。


話を短くするよう上司から注意したらしいが、どこ吹く風。聞く耳を持たなかったらしい


話好き。でも話が長すぎて、周囲はその人を敬遠している。


本人はそのことに気づいているのだろうか。


気づいていたとしても、やはり根っからの話好きで、話し出すと止まらなくなるのだろうか。


いや、それでも、講演会ではないのだから、節度は必要で、相手がうんざりするほど話続けてはいけない。まだまだ話したい!と思っても、そこをグッとこらえて、サッと引く。引いて、少し物足りないくらいが、相手に負担がなく、好印象になるのではないだろうか。


「好印象」を与えなければならない人の話し方の習慣 (アスカビジネス)

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