勉強。忘れるのは復習しないから。復習しよう。何度でも。

覚えたことも、二、三日すれば忘れてしまう。
人は忘却の動物だ。


忘れるのは適宜復習しないから。良いのは、翌日に復習することだ。思い出すのも翌日なら容易なはず。


まちがえたところはもう一度。
次はまちがえないように。


まちがえることは悪いことではない。
まちがいに気づくこと。そこがだいじ。
まちがえたまま覚えている方が良くない。


忘れてしまうのは仕方がないことだから、何度でも復習しよう。



テトリスって人生みたいだ

ふと思ったのです。テトリスって人生みたいだと。


ゲームはあまりしないほうですが、好きなゲームはずっとします。やり続けます。例えばテトリス


ミノというのかな。ブロックみたいなのが天井まで積んだら終わりという、あれです。あのゲーム。


まあ、あまり上手なほうじゃありません。でもどんどん並べて消すのが楽しくて、ストレス解消になります。



で、積んだ終わりなので、とにかく積まないようにするのですが、それが今の自分に似ているなあと。毎日なんとかなんとか半径10キロ圏内で右往左往試行錯誤してます。


テトリスの面白いところは、ああもうダメだと思ったところから、なんかいい感じに消せるミノがやってきて、あれよあれよとスッキリ消えて、わーい!ということも。


積んだとしても、もう一度はじめればいい。何度でも。


積んでも終わりじゃない。またはじめればいい。でもまあ、人生とか仕事とかできれば積まないほうがいい。だから、毎日せっせと動いているわけですが、まあ、たまには休憩もしたいかな。休むのも大事。疲労困憊、オーバーヒート、燃え尽き症候群には要注意ですね。


では今日はこのへんで。




結果が出ないのは、やり方がまずいから

なかなか思うような結果が出ない。
結果が出ないのは、やり方がまずいから。そう断言してもいいと思う。


結果やプロセスをイメージをすることは、たやすい。
しかしながら、イメージどおりにいくか(仕事が進むか)といえば、そうはいかないのが現実だ。


だいたい時間が足りなくなって、後半わちゃくちゃになる。


足りなくなるのは、時間の見積もりが甘いから?やり方がまずいから?


とにかく、結果を出したい。出せなくて、今、悔しくて仕方がない。


結果を出したい。やり方を変えられるところは変えて、良いと思ったものはどんどん取り入れる。


思うような結果が出なくて凹みかけたけれど、書いたらすっきりした。頭の中が整理できたようだ。


今日はこのへんで。



できたことを5つ書き留める

ここのところ低調なテンションが続いているのだけれど、それはそれでもう仕方ないから、開き直って、1日でできたこと(したこと)を書き留めていこうと思った。
例えば
・仕事は休みだったけれど、早起きできた。
・歯科検診に行けた。
・歯をクリーニングしてもらい、フッ素を塗ってもらった(虫歯はできていなかった)。
・バランスのよい夕食を作れた。
・シャンプーのあと、きちんとトリートメントした。


日によって変わるとは思うけれど、だいたい5つくらいできたことを書き留めていくようにしたい。


すぐに忘れてしまうのだけれど、案外細々(こまごま)といろんなことをしているものだ。


もちろん、できなかったこと、先延ばしにしたものもあるのだけれど、それは改めてやればいい。


新年度、4月になったことだし、日誌を書くつもりでできたことを書き留めていこう。やりたいこと、やらないといけないことはこれまでどおりTODOリストに書いておく(ケータイのアプリで管理)。


無理せず、5つ。些細なことでもいいから、できたことを書き留めていこうと思う。




漠然とした不安をかかえるということ

なかなか言葉にできない漠然とした不安が気持ちを重くすることがある。


本当に漠然とした不安。仕事のことや人間関係、これからのこと、などなど漠然と。


まあ、結局は
「まあ、なんとかなるでしょう。今までもなんとかなってきたから」
という結論になってしまうのだけれど。


考えてもどうしようもないことは、やっぱりある。「考えてもどうしようもないことなのに考えてしまうのはなんでだろう」とも思うけれど、自分的に納得できるところまで持っていかないと、どうも考えることをやめられないようだ。そういう性分らしい。


漠然とした不安は昔からあって、その不安から逃れたくて、いろいろなことをしたけれど、どれも中途半端で終わってしまった。中途半端というのは不安なものだ。どこかに何かに所属していないというのも。


その一方で、不安定であっても、自由でいたいと思う自分もいて、自分でも自分の扱い方がわからないことがよくある。


不安は、言葉にできないから余計に不安になるものなのかもしれない。例えば、暗闇でよく見えないものが得体の知れないものに見えることがあるように。


でも逆に言葉にしてしまうと、それと面と向かい合わなければならなくなりそうで、それが嫌で、言葉にするのを躊躇してしまったり。おそらく私は後者だ。言葉にせず、言葉にする前に闇雲に動いて、結局うまくいかなくて、自己嫌悪に陥ったり、あるいは「あれは酸っぱい葡萄だ」と思ったり。


不定期に不安になることは、今までもあったし、特に重く感じてしまうのは相当疲れているせいもあるのだと思う。疲れをとりなさい。休みなさい。という暗示かも知れない。


繰り返しになるけれど、結局は
「まあ、なんとかなるでしょう。今までもなんとかなってきたから」
ということで自分を納得させることになる。


漠然とした不安に効く特効薬はないのでは?
漠然とした不安をかかえつつも、でもまあなんとかなるでしょう、ということで、今夜は寝ます。寝れなかったら、好きな漫画を読むことにします。


今日はこのへんで。




今まで読んでこなかった本を読む

特に最近興味関心がある本しか読んでおらず、とても視野が狭くなっていることに気づいた。
仕事関係の本もしかり。


毎日30分でもいいから「今まで読んでこなかった本を読もう」そう思っている。


具体的には歴史と経済。


歴史については世界史は学生時代に少し勉強したけれど、すっかり忘れてしまった。


知識として知っておいたほうがよいことはいくらでもある。何も知らないこと(無知)からは何も生まれないというのを何かの本で読んだけれど、本当にそうだと思う。知識から助けられることは多い。考える素となるのも知識で、まあ簡単に言うと、いろいろなことを知りたい、知って自分の武器にしたい。そして、考えたことをもっと文章にして残したほうがいいのだろうとも思っている。


まずは、毎日読書する時間を30分、静かに考える時間を30分持つようにしたい。できればアウトプットする時間も持てればと思う。


経済は地理から学べ!

経済は地理から学べ!

経済は地理から学べ!

経済は地理から学べ!



組織内のバランスと個人の資質について考えた

例えば、職場内において、お互いを補完しあう関係がいくつも成立している場合、仕事はうまくいくものだと思った。あるとき、急遽、会議室を変更することになった。とてもアグレッシブ行動的なAさんは、使用できる会議室を押さえるために会議室の使用管理を管轄している庶務課へ走り、使用できる会議室がC会議室だとわかると、C会議室にセッティングに飛んでいってしまった。


一方、Bさんは、冷静で慎重派。その使用できるC会議室が会議参加者が全員は入れるか確認。椅子が足りないということで、他から椅子だけ運び入れる算段をとり、それをすでに会議室入りしているAさんに伝えた。そして、会議室がC会議室に変更になったことを会議参加者に連絡し、かつ会議室が変更になった旨の掲示物を旧会議室前に貼り、C会議室の場所も手書きする念の入れようだった。


行動派のAさんのおかげで、セッティングは無事間に合い、冷静慎重なBさんのおかげで、会議室参加者に会議室変更の件が伝えられ、一部、連絡が取れなかった人も、旧会議室にも張り紙がしてあったので、旧会議室で待ちぼうけを食らう人も出ず、めでたしめでたし。会議は全員参加で、定刻に始められた。


思うに、行動がはやいことはもちろん良いことだけれど、早い分、なにか取りこぼすことも多いように思う。取りこぼしをなくすためには、フォローする冷静さや慎重さが必要だし、でも冷静慎重すぎて、行動が伴わないのは困る。


組織において、そういった行動的な人と慎重な人というのは、バランスよくいたほうがよいと思われる。行動的な人は、慎重な人にイライラするかもしれないけれど、慎重な人には慎重な人のよさがあり、もちろん行動的な人は、それだけで、敬意を表したい。私が慎重で、とても行動的とはいえないだけに、行動的な人をすごいと思う。


考えてから動きたいタイプの人というのは、だいたいにおいてなんでも遅い。決めるのも遅いし、いわゆる優柔不断で、意外と言語化は得意なのだけれど、でも行動が伴わない。逆に、言語化は苦手だけれど、あれこれ言う前にやってしまえ、細かいことはいいんだよ!と行動してしまう人も少なくなくて、だいたいにおいて、行動する人は注目されるし、結果を出す。それもそうだ。行動しないのに結果は出ない。行動する人は評価されるし、一方、行動しない人は評価の対象にすらならない。そもそも評価されるようなことをしていないのだから。


「行動しろ」そう言われても、行動できない自分を歯がゆく思う。考えてから、納得してから動くというのが、もう「かまぼこの板」のように張り付いてしまって、ちょっと揺さぶったくらいでは剥がれそうにない。


では、どうすればいいのか。


まったく動かないわけではないけれど、ここはひとつ行動的なことは行動的な人に任せ、それをフォローする側に回ることで、自分の立ち位置を確保できるのではないか、と。取りこぼし、あとあと問題になりそうなことの芽を摘む。そういった仕事をする人も必要で、自分の資質を生かす方法は探せばあるはずだと思う。


職場や組織に行動的な人が多ければ多いほど良い、とは一概には言えないと思う。慎重な人、俯瞰して取りこぼしがないか、問題が起きていないか、問題が起きそうなことはないか見る人、チェックする人も必要で、私はこちらの立場をとりたい。後方支援という言葉も今思いついた。


組織が必要としている資質は、ひとつだけではないと思う。むしろ、さまざまな資質を必要としていて、資質的にうまくマッチングすれば、働きやすいと感じられるし、逆の場合は働きにくい、働きたくないとなるのかもしれない。


長くなってしまったので、このへんで。