転職と年齢、体力の問題。

体力は年齢とともに落ちていくもの。
まあ、記憶力とかもそうだけれど、柔軟性といったものも、やはり若いうちが優れてて、年をとると頭がかたくなるというのは本当だと思う。自分の意見を譲らなかったり、こだわりが強すぎて、周りと合わせられなかったり、文句が多かったり。まあ、若くても文句ばかり言っている人もいるから、これは個人の問題かもしれない。


転職するとき、転職したとき、前の仕事や会社の文句もあれこれ言う人は要注意だ。きっとまた今の会社の文句を言い出す。文句が溜まりやすい、吐き出さずにはいられないという人は一定数いるようだ。本人的には軽いガス抜きのつもりかもしれないけれど、仕事中に聞かされるほうとしては、良い気分にはなれない。同情、同調してほしいのか、一緒に文句を言ってほしいのか、大変だったとねぎらってほしいのか、そのあたりがわからない。話があまりにも続くと、仕事の邪魔をされているようにすら感じる。


話がズレてしまった。体力の問題に話を戻そう。
体力もだけれど、働き続けるには心身ともにケア、メンテナンスが必要で、年をとると無理ができなくなるというのは、悲しいけれど本当のことだ。


転職先の職種にもよるけれど、30代半ばがリミットだと自分的には思っていて、個人差もあると思うけれど、おそらく40になってしまうと厳しい。40をすぎて、これまで全くしたことがない仕事をするというのは、かなり大変なことだ。できないわけではないけれど、相当頑張らないといけないと思う。また、たとえ資格があったとしても、未経験だとそこでお祈りされてしまうケースもある。あるいは、試用期間だけで、サヨナラされたり。「使えない人」の認定基準は、年令と共に上がる。40をすぎてるのにこんなこともできないの?こんなことも知らないの?的な目で見られたり。


逆に言えば、「使える人」なら雇ってもらえるということだ。「あ、この人は使える」そう思ってもらえれば、しめたもの。資格プラス実践経験、そして他の人ができないようなことができれば、掘り出し物的な扱いを受ける。もっとも、その「他の人ができないようなことができる」というのが難しいことなのだけれど。


仕事はまあできるのだけれど、しょっちゅう体調をくずして、病院に行っている人の評価は低いということも最近わかってきた。健康管理能力、自己管理能力を重視する人が上司だとなかなか大変だ。


思うに、風邪もひいてられない。少々の熱では休めない。解熱剤を飲んで仕事する。体のためには休んだ方がよいのだろうけれど、人が足りなかったり他の人に仕事を頼めない、つまり、休めない状況というのは、ブラックな会社と言っていいのではないだろうか。


金曜日ともなると、疲れがたまって、ミスも多くなり、仕事の効率もよいとは決して言えない。体力があれば、もう少し楽になるだろうか。


つらつらと書いてしまったけれど、転職してしまったからには、あとには引けない(元には戻れない)わけで、なんとかやっていくしかない。これから暑くなっていくわけだし、夏バテしないよう、体力づくりを今からはじめておこう。


長くなってしまったので、このへんで。

「死ぬくらいなら会社辞めれば」ができない理由(ワケ)

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仕事は楽しいかね? (きこ書房)

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仕事は楽しいかね?

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小さな会社でぼくは育つ(しごとのわ)

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成果主義に陥っているかもしれないので気をつけたい3つのこと

良い結果を出したい。とにかくこのままじゃダメだ。もっと良いものを……。
最近の私は成果主義に陥っているのかもしれない。


やれるだけやったから、まあいいや。OKということにしよう。
そういう気分になれなくて、やれるだけやってる、でも結果はよくない。これは、やり方がまずいから。がんばっているけど、それだけじゃダメ。結果を出さないと……。焦る気持ち強いです。


成果主義に陥っているかもしれない。苛々がそのうち八つ当たりに拡大してしまいそうで、こうして書いて、落ち着こうと思っている。

気をつけたいのは次の3つ。

1.ローマは一日して成らず。すぐに結果はでないものと思うこと。結果がでないからと焦らないこと。苛々して八つ当たりをしないこと。


2.他の人と比べないこと。結果を出している人をうらやましく思うけれど、その人と比べて落ちこまないこと。人それぞれ。経験やキャリアの差を考えること。


3.良い結果を残せていなくても、それで諦めないこと。継続は力なり。結果にこだわりすぎて、視野狭窄に陥らないこと。


もう少し気長に根気強く、全体や少し先のことまで俯瞰しながら仕事をしたい。


成果主義とメンタルヘルス

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がんばりすぎるあなたへ 完璧主義を健全な習慣に変える方法

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会社という病 (講談社+α新書)

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勉強。忘れるのは復習しないから。復習しよう。何度でも。

覚えたことも、二、三日すれば忘れてしまう。
人は忘却の動物だ。


忘れるのは適宜復習しないから。良いのは、翌日に復習することだ。思い出すのも翌日なら容易なはず。


まちがえたところはもう一度。
次はまちがえないように。


まちがえることは悪いことではない。
まちがいに気づくこと。そこがだいじ。
まちがえたまま覚えている方が良くない。


忘れてしまうのは仕方がないことだから、何度でも復習しよう。



テトリスって人生みたいだ

ふと思ったのです。テトリスって人生みたいだと。


ゲームはあまりしないほうですが、好きなゲームはずっとします。やり続けます。例えばテトリス


ミノというのかな。ブロックみたいなのが天井まで積んだら終わりという、あれです。あのゲーム。


まあ、あまり上手なほうじゃありません。でもどんどん並べて消すのが楽しくて、ストレス解消になります。



で、積んだ終わりなので、とにかく積まないようにするのですが、それが今の自分に似ているなあと。毎日なんとかなんとか半径10キロ圏内で右往左往試行錯誤してます。


テトリスの面白いところは、ああもうダメだと思ったところから、なんかいい感じに消せるミノがやってきて、あれよあれよとスッキリ消えて、わーい!ということも。


積んだとしても、もう一度はじめればいい。何度でも。


積んでも終わりじゃない。またはじめればいい。でもまあ、人生とか仕事とかできれば積まないほうがいい。だから、毎日せっせと動いているわけですが、まあ、たまには休憩もしたいかな。休むのも大事。疲労困憊、オーバーヒート、燃え尽き症候群には要注意ですね。


では今日はこのへんで。




結果が出ないのは、やり方がまずいから

なかなか思うような結果が出ない。
結果が出ないのは、やり方がまずいから。そう断言してもいいと思う。


結果やプロセスをイメージをすることは、たやすい。
しかしながら、イメージどおりにいくか(仕事が進むか)といえば、そうはいかないのが現実だ。


だいたい時間が足りなくなって、後半わちゃくちゃになる。


足りなくなるのは、時間の見積もりが甘いから?やり方がまずいから?


とにかく、結果を出したい。出せなくて、今、悔しくて仕方がない。


結果を出したい。やり方を変えられるところは変えて、良いと思ったものはどんどん取り入れる。


思うような結果が出なくて凹みかけたけれど、書いたらすっきりした。頭の中が整理できたようだ。


今日はこのへんで。



できたことを5つ書き留める

ここのところ低調なテンションが続いているのだけれど、それはそれでもう仕方ないから、開き直って、1日でできたこと(したこと)を書き留めていこうと思った。
例えば
・仕事は休みだったけれど、早起きできた。
・歯科検診に行けた。
・歯をクリーニングしてもらい、フッ素を塗ってもらった(虫歯はできていなかった)。
・バランスのよい夕食を作れた。
・シャンプーのあと、きちんとトリートメントした。


日によって変わるとは思うけれど、だいたい5つくらいできたことを書き留めていくようにしたい。


すぐに忘れてしまうのだけれど、案外細々(こまごま)といろんなことをしているものだ。


もちろん、できなかったこと、先延ばしにしたものもあるのだけれど、それは改めてやればいい。


新年度、4月になったことだし、日誌を書くつもりでできたことを書き留めていこう。やりたいこと、やらないといけないことはこれまでどおりTODOリストに書いておく(ケータイのアプリで管理)。


無理せず、5つ。些細なことでもいいから、できたことを書き留めていこうと思う。




漠然とした不安をかかえるということ

なかなか言葉にできない漠然とした不安が気持ちを重くすることがある。


本当に漠然とした不安。仕事のことや人間関係、これからのこと、などなど漠然と。


まあ、結局は
「まあ、なんとかなるでしょう。今までもなんとかなってきたから」
という結論になってしまうのだけれど。


考えてもどうしようもないことは、やっぱりある。「考えてもどうしようもないことなのに考えてしまうのはなんでだろう」とも思うけれど、自分的に納得できるところまで持っていかないと、どうも考えることをやめられないようだ。そういう性分らしい。


漠然とした不安は昔からあって、その不安から逃れたくて、いろいろなことをしたけれど、どれも中途半端で終わってしまった。中途半端というのは不安なものだ。どこかに何かに所属していないというのも。


その一方で、不安定であっても、自由でいたいと思う自分もいて、自分でも自分の扱い方がわからないことがよくある。


不安は、言葉にできないから余計に不安になるものなのかもしれない。例えば、暗闇でよく見えないものが得体の知れないものに見えることがあるように。


でも逆に言葉にしてしまうと、それと面と向かい合わなければならなくなりそうで、それが嫌で、言葉にするのを躊躇してしまったり。おそらく私は後者だ。言葉にせず、言葉にする前に闇雲に動いて、結局うまくいかなくて、自己嫌悪に陥ったり、あるいは「あれは酸っぱい葡萄だ」と思ったり。


不定期に不安になることは、今までもあったし、特に重く感じてしまうのは相当疲れているせいもあるのだと思う。疲れをとりなさい。休みなさい。という暗示かも知れない。


繰り返しになるけれど、結局は
「まあ、なんとかなるでしょう。今までもなんとかなってきたから」
ということで自分を納得させることになる。


漠然とした不安に効く特効薬はないのでは?
漠然とした不安をかかえつつも、でもまあなんとかなるでしょう、ということで、今夜は寝ます。寝れなかったら、好きな漫画を読むことにします。


今日はこのへんで。