【雑文】ネットにおけるつながり感とか孤独感とか


Web上のつながりを断つこと(インターネットの真の姿とは)を読んで考えたことがあるので書いてみようと思います(^ω^)


★つながり感と孤独感

ネットで、特にtwitterでつながっている時など楽しいけれど、つながりを感じられないとき、孤独感(疎外感)を感じるときって、うん、ネットをやめたくなると思う。 twitterも含めて。


twitterの新人さんとか、どうしていいかわからないとか、あると思う。
アカウントはとったものの、フォローもある程度したものの、どうしていいかわからない。
慣れたtwitter同士の会話がえんえんとタイムラインに並んだときって、それをみて、疎外感とか孤独を感じてしまうんじゃないかなー。
Twitterユーザに知り合いがいる方ばかりでもないですよねー。
そもそもtwitterの知名度って低いんですよねー。まだまだw


先日ランチをしたリアル友人たちにtwitterについて聞いてみたけれど、
誰ひとりとして知らなかったw
ネットはするけれど、もっぱらロム専だったり、以前mixiをやっていた友人が一人いるくらいだった。
ブログも書くもの、というより、読むもの、という感じ。
コメントもしたことないし、そもそもHNを考えたこともないという友人たち。
なるほどねぇ、そんなものなのかなーと私。
友人たちは特にネットを介してのつながりを求めていない。
ネットは調べ物とかするのに使うくらいで、別にネットを通して誰かと知り合い、会ったり飲んだりというのは視野にないみたいだった。



★つながりを求めようとするから孤独感が生まれる


そして思った。
ネットにアクセスしても、ネットを通して誰かにつながりを求めなければ、別に孤独感とかは感じないのだと。
ブログを書く側、あるいはtwitterユーザになって、誰かに読まれたい、誰かと会話したいと思った瞬間、つまり、つながりを求めた瞬間、その人は孤独も感じることになるのだと思う。
ネットを介して、ネットの向こう側の人となんらかの係わり合いを持ちたいとそう思い始めたとたん、人は変わるのだと思う。


つまり、つながり感と孤独感は裏表なのだと思う。


twitter面白そうだなーと思っても、なかなか入っていけない人もいるのではないかなぁ。


人力検索はてなで『twitterの楽しみ方を教えてください。全然わかりません。。。。』という質問も出ていましたね。


twitterで、自分から会話にからんでいけばいいじゃないって思う人もいるかもしれないけれど、なかなかからんでいけないタイプの人もいるでしょうし。。。
ただ、ひとりごとをつぶやくだけ、というのもむなしかったりするし、反応がないというのは淋しいものだし。
あーtwitterつまんねーってことになるんじゃないかな。(そうは思わない方もいらっしゃると思いますが)


やはり関心をもたれない、無関心なのが、人ってつらいんだと思う。
要領よくtwitterみたいな場所で立ち回れる人ばっかりじゃないわけで……。



★負の感情から生まれるもの


ふと、関心をもたれないどころか無視されてしまうところから、ストーカーって生まれちゃうんじゃないのかなーって思ったのですよね。
行き過ぎた好意の裏返しがストーカーと云われる行為ですよね。
とにかくその人のことを知りたいという欲望によるものですけれど、それって、ある意味、通常のつながり、コミュニケーションがとれないゆえに生じてしまうのではないかと。。。


普通につながって、会話できないから、裏の方でこそこそと行動する。
で、裏の方でこそこそと行動するから、ますますストーカーされる人は遠ざけようとする。


リアル世界にもストーカーがいるように、
ネットの世界にもストーカーはいますね。


Web上のつながりを断つこと(インターネットの真の姿とは)を読んだら、なんだかいろいろわかってきた気がする。

そこで生じた負の感情というものは、言葉に直すと孤独や、嫉妬、報復などといった種類のもので、とてもいい感情には思えないかもしれないが、これらの感情は時折ものすごいパワーを引き出すものだと私は思っている。素晴らしい作品は健全な精神から宿ることもあるが、狂気や嫉妬心から生まれている作品もまた多いように思う。なんだろうか、そのような感情を表現するとすれば、寂しさと、怒りと、やるせなさと、嫉妬心が混じった、胸から抑えがたい激烈な感情、とでも表現すればいいのだろうか。そのような感情が、人と「つながらない」ことから出てくるように思う。

これがね、わかるんですよねー。
狂気や嫉妬心から生まれている作品って。
まぁ作品として負の感情を昇華できるのなら、それはよいのでしょうけれど、そういう昇華する方法がない場合、ストーカー行為に走ったり……となるんだろうなぁと。



★『ネット力(りょく)』の必要性


ネットの世界も弱肉強食だなぁと、特に最近思う。
強者と弱者。
有名と無名。
人気者と嫌われ者。
格差社会はネットの世界にもあるなぁと思う。
まぁどの世界でも公平で平等でというのはありえないのでしょうけれど。うーん、どうなのでしょうねぇ。。。
まぁネットの世界が合わないと思えば、さっさとそのつながりを断つのもありかな、と思う。


楽しいからネットをするわけで、ネットをしていても楽しくなかったら、別にネットを無理にする必要はないわけで……。
以前『インターネットはからっぽの洞窟』というのを読んだことがあって、えーと1997年かな。
その頃からネットは私はしていたわけで(一応ネット歴は10年以上)、当時ネットに対して不信とか疑問とかも持っていたように思います。
自分のHPをもっていて、いろいろとトラブルがあって、当時は掲示板とかチャットとかの時代。メッセはまだなかった。twittermixiもなかったw


で、当時常連の中でトラブルがあって、ばん!と私は閉鎖してしまったのですね。
いや放置しちゃったのか……。
まぁ要するに、つながりを断ってしまったんだな。当時。
今ならうまく立ち回れるだろうけれど、当時は『ネット力(りょく)』も未熟で、ささいなこともスルーできなくて、 ぶちぎることしか思いつかなかったんだなぁ。


んー『ネット力』の有り無しは重要かも。
『ネットスキル』というか、んーと、やっぱし『ネット力』の方がしっくりくるかなぁ。
長年ネットをし続けている人って、その『ネット力』というのが強いように思う。
『ネット力』というのを説明するのは難しいのですけれど、ネットにおける自分の立ち位置やふるまいをわかっている人は『ネット力』がある人だと思う。
独自のスタンスがあって、ゆらぎがないという感じ。
うまくネットの中を泳いでいる人、とでも表現すればいいのかなぁ。
だてに長年ネットをしてるわけじゃないなぁと思う人は多い。



★ネットにおける鈍感力あるいはスルー力


ネットを通してぶつけられるネガティブエネルギーをスルーできる能力って必要だなぁと最近また思っていたりしている。

あるいは、ネット上で無視されたり(はぶられるっていうのかな)しても、気にしないでいられる能力というかスキル。
私は私。俺は俺。というような。


鈍感力ともいうのかなぁ。
世の中には気遣いのできる人ばかりではなくて、
ネット上でもどうしてそんなこと言えちゃうの?と思う鈍感な人もいたりする。
本人は自覚がないんですよね。
おそらくは本人がそう思うからそう言うのでしょうけれど、そういう鈍感な発言はスルーするようにしてる。
いちいち怒って自分の気分を悪くしているのも時間がもったいないし、所詮その人はそういう人なんだってことで、気にしないようにしてる。あるいは距離を置くようにしてる。


人は変えらない。
過去を変えられないように。


自分以外の誰かをどうにかして変えようというのは、おこがましいし、僭越すぎると思う。
変わるのなら自分。
自分の考え方を変えて、毎日楽しくしている方がいいと思う。
ネットもね、楽しいからしている。
確かにネットをしていて孤独感を感じることもある。
でも、孤独なのって私だけじゃないと思う。



★さみしさ解消のツール


最近読んだ本に
『それでもわたしは、恋がしたい 幸福になりたい お金も欲しい』(村上龍)という本があって、

恋愛していないと死ぬほどさみしい。どうしても耐えられません……

という質問の回答に村上龍氏は

さみしくならない方法は、あります。
さみしくならないように、世の中のすべてのものがあるんです。映画を観ている間ぐらいはさみしいとは思わない。だから映画館がある。泳いでいる間はさみしいと思わないよね。だからプールがある。本もペットもテレビも家庭菜園も、みんなそう。NGOで紛争地域に入ったら、さみしいもへったくれもなくなります。「もうさみしくておかしくなりそうだ」というような感情を中和するためにすべてがあるのだから、それを利用すればいい。
さみしいという感情自体は、不自然なことではないんです。

なるほど、と思う。


かみんぐあうとっすると、私の中に昔からいつも恋愛をしていなければいけないというのはなくて、むしろ仕事をして自分の趣味を充実させる、学生時代だったらバイトとサークル活動の方が重要で、別に彼氏がいないからさみしいとかそういうのはなかったように思う。
結婚してからの方がさみしいような気がする。


結婚して同じ屋根の下で暮らしていたとしても、結局のところ別の人間で考え方も違えば、習慣も違う。
趣味も違う。
夫婦で同じ趣味を楽しめたらよいのでしょうけれど、そういうわけではないのが現実。


まぁ趣味なんて自分が楽しむものだから、とやかく言われるよりはましかな、とも思う。


お互いの趣味は不干渉。。。みたいなw


プロフにも書いているけれど、
やっぱり私は自分の世界(趣味)を持っている人が好きで、とことん楽しんでいる人が好き。
最近『人生はおわりのあるゲーム』だと思ってるw
元々私はゲーム好きだったりするのでw
やっぱり楽しまないと損だよねって。


んーと、さみしいからネットのみに依存するというのはどうかと思うけれど、でも、自分で自分を楽しくするツール=さみしさ解消ツールとしてネットが有用なら、それでもOKなんじゃないかな。


★まとめ


ネットでつながり感を感じるときは楽しいけれど、
ネットをしていて孤独だなぁと思うこともある。
でもそれは私だけじゃないよね、って慰めてるw



めちゃくちゃ長くなってしまった><
今日書いた記事みたいなことを考えながら書くのは好きで何時間でもOKだったりしますw
そういうのを語り合いたいですねー。
まぁ、なかなかそういう機会ってないのが現実なのですけれどw(さみしーw


それでもわたしは、恋がしたい 幸福になりたい お金も欲しい

それでもわたしは、恋がしたい 幸福になりたい お金も欲しい