自分を確立すること=型にはまることではないはずだ。


この記事を書いたあと実は一本記事を仕上げていた。
アップしようとして読み返して、私は眉間に皺を寄せた。


げ。もしかして、私、似たようなこと過去にアップしてる?


過去記事をざっと見返すとあった。しっかりあった。なに同じこと書いているんだろうと自嘲。過去記事は4月に書いたもので、つまり4月の時点と同じ考え方を私はしていたわけだ。言い回しを少し変えただけのその文章に「げ。」と思った。私、全然変わってないんだ。つまり、それは型にはまってしまっているということなのかもしれないと思った。そう、考え方の型にはまってしまっているのかもと。


あれこれ考えたところで、考え方のベクトルが結局同じ方向にいってしまう。自分の軸が揺らがないということは、もしかすると自分の考え方を確立してしまうことなのかもしれない。



インプットが少なければ、アウトプットも少なくなる、かわり映えのしないアウトプットばかりになる、そんな風に考えたりするのだけれど、今回の場合、自分の考え方に固執してしまっているようだ。つまりは自分の考えがいちばんだというそういう感覚に陥ってしまっているようにも思える。案外自分というものを確立してしまうと、他の人の意見や考え方は入ってこなくなったりするのかもしれない。ぶっちゃけ聞く耳を持たなくなるのかもしれない。他の人の意見や考え方の存在は認めるけれど、それを理解しようとか取りこもうとかそういうのがなくなってしまうような、そんな気がする。


自分を確立することと聞く耳を持たなくなることはイコールではないはずだ。自分を確立すること=型にはまることではないはずだ。少なくとも私は型にははまりたくないとそう思っている。


型にはまってしまえば、ある意味楽かもしれない。けれど、似たような文章のくりかえしになってしまいはしないか。自分の考えがいちばんだという傲慢な態度をとってしまいはしないか、そのあたりを危惧する。


自分を確立しつつ、自分の軸をしっかりと持ちつつ、自分の考え方に固執しない、臨機応変、変化できるというそんなスタンスがよいのではないか。固まってしまえばそれ以上変化、成長は望めないように思う。