思考系ブログのこと

これはまだ出会ったばかりでよくわかっていないのですけれど「思考系ブログ」というのは面白い表現だなと思ったので、ちょっと書いてみます。


ネットで書く文章は自分語りであっても私そのものではない(ひとりごと)を読んですごく共感した。


自分語りが悪いとか悪くないとかそういうのは、各個人が判断することで、私としては悪いとも悪くないとも言えないかな。ただ、「ネットで書く文章」と「私」はちがうのは確かかなw


「ブログやtwitterでの私」と「リアルでの私」は、んーやっぱりちがう。ギャップがあると思うw(参考記事:オフ会。ネット上とリアルで会ったときのギャップってあったりするよね。―かみんぐあうとっ)
ギャップがあるのが普通というか、大半じゃないかな。


「思考系ブログ」ということは、つまりはソースは自分で、自分の言葉で語ることなるのかな。自分の思考を文章化する。簡単にいえばそういうことじゃないかな。
そこには限界があって、インプットしないと、やはり出てくるものは似たような同じことの繰り返しになってしまうのかもしれないですね。新しいもの、自分とはちがうものに触れることで刺激をうけて、成長したり成熟したり、時には一新することもあるかもしれない。


アウトプットすることについて記事を書いたけれど、アウトプットは大事というのもひとつの考え方にすぎなくて、やはりインプットすることの方が先で大事だという人もいるかもしれない。それはそれでいいと思う。
んー、やっぱり、インプット→思考→アウトプットという流れがやっぱり普通なのかも。



思考系ブログ(さまざまなめりっと)より引用↓

思考系ブログなんてやってる人は基本思考はやっぱり変わらないものだから、その辺で先端のゆらぎと基本があるからこその応用を見せたいな。

能力系マンガはどんどん強い技を覚えるよりもシンプルな能力を応用でかゆいところに手を伸ばす方が好きなんだよね。

思考系ブログってのは能力系マンガに通じる気がする。一つの考え方でも、状況に応じて角度を変えて見せることで常に違う風に見せることができると思う。

という考え方。すごく面白い。
「違う風に見せることができる」というのは、かなり高度なことのように思うわけで、んー、実際、よくわからなっていなかったりする。つまりは応用力なのかな。一つの考え方は、実は一つではなく、見方によってはどうとでも変わってしまうものだということなのかなぁ。うーん。


自分の考え方を他者になったつもりで見ることができたら、もっと客観的になれるのだろうなと思う。どうしても自分中心で自分の見方ですべてを見てしまいがち。見えるものをすべて自分の価値観で判断してしまうというか……。
おそらくは、それが独りよがりと言われることだったり、独善的と言われることだったり、人のことを考えないよね、ということになるのかもしれない。


多角的にみること。自分の考えを多角的にみたところで、成長進歩することもあるのだろうな。あるいは、自分に足りないものを知るということ、自分の気づかない短所に気づくということ、それらは難しいけれど、成長のためには必要なことなのだろうなぁ。


冒頭にも書いたけれど、「思考系ブログ」について、うまく説明できないし、これといった結論はない。まだこの言葉に出会ったばかり。これから考えること、そのことに意味があるのかもしれない。考えること。思考すること。それは面白い。面白いからやめられない。「思考系ブログ」というような面白い言葉に出会えてうれしい。