ネットでは言葉があなたをイメージさせる。言葉はあなたの一部。

ええ、タイトルのとおりなのですけれど、あなたがネットに放つ言葉―ブログでもコメントでもTwitterのpostでもそうなのですが―その言葉はあなた自身をイメージさせるものなのですよね。つまりは、言葉であなたがどういう人であるか想像する。


選んでいるという意識はないかもしれないけれど、キーボードで打ちこんでいる言葉は自分が選んだものなのですよね。つまりは、自分の中から出てきたもの。可視化されて、自分も他人も認識できるようになったものなわけです。ここにこうして現れた文字というものは。


言葉を見て人はイメージします。人それぞれイメージする。ネットであれば不特定多数の人がイメージする。ブログやtwitterであれば、リアル生活で接する人数とは比べ物にならないくらいの人にイメージさせているんですよね。


人は画面上に現れた言葉であなたがどういう人であるかイメージするわけで、顔や姿、声などは見えませんから、言葉で判断するしかないですよね。普段リアルでは無口な人もネットで饒舌に語れば、ものすごくおしゃべりな人かと思ってしまったりってあります。実際会ってギャップがあるというのはまぁよくあります。(関連記事:オフ会。ネット上とリアルで会ったときのギャップってあったりするよね。)


実際会ったことがない場合、可視化した言葉でその人をイメージするのが一般的なわけで、だからこそネット上ではどんな風にも装うことはできる。実際に口に出しては言えないことも書けてしまうのがネットで、それはよいことでもあり、悪いことでもあるのですよね。リアルでは言えないこともネットなら匿名なら言えてしまうという……。


んー、でもそれでも、放たれた言葉はやはりあなたから出てきたもので、人の悪口を言う人は、disる人は、つまりはそういうことをする人なのだと思われるだけなのですよね。人の悪口を言うことで自分を貶めていると書けばいいのかな。悪口を言う人は、やはりどこかで悪口を言われているし、disっている人もそうですね。どこかでdisられている。「悪口をいつも言っている、disっている」というイメージはいつのまにか定着するもので、それはなかなか剥ぎ取れないんじゃないかな。イメージというのは自分が思っている以上に膨らんで一人歩きしていくものですから。匿名であれば、自分を特定されないわけですが、んー、どうなんでしょうね。巡り巡って自分に返ってくるんじゃないかな。思わぬ形で。


放った言葉=人格ではないのですけれど、どうしても人は言葉で判断してしまう。ましてや会ったことがなければなおさらです。口は悪いけれど本当はいい人という人も実際います。ネット上の性格=本来の性格ではなく、ネット上の性格<本来の性格だと思うのですよね。つまりは隠れている部分の方が多い。可視化して見えるようになる部分というのはほんの一部にすぎない。そんな風に思ってます。


言葉には人にイメージさせる力があります。言葉は力ですね。パワーと言ってもいいです。
パワーがあるものだから、人を傷つけもするし、人を救ったりもする、言葉で癒されたり、元気になったりもする。できれば、理想論かもしれないけれど、言葉は伝えるためのものであって、わかりあうためのものであって、人を傷つけたり哀しませたりするものにはなってほしくないですね。


そして、ネットで放つ言葉は確かにあなたから出てきたもので、人はそれぞれイメージする。どういうイメージを持つかは、その人の自由。と同時にネットで放った言葉がその人のすべてじゃないと、そういう風に思っています。たまたま機嫌が悪くて罵詈雑言を並べ立てるときもあるでしょうし、機嫌がよければものすごい名言を言ったり……。言葉でイメージするしかないのですけれど、言葉だけでその人を判断するのはどうかなと思うのですよね。


だらだらと書いてしまいましたが、やはり楽しいネットライフを送りたいですね。