ブログと肯定感

ブログを書いて思うのは、書いたものを読んでほしい、肯定してほしいというのが根底にあるんだなぁということです。Twitterミニブログですが、つぶやきに「わかるわかる」「あるある、よくある」と同意の@リプライをもらうとうれしいものです。



自己肯定感というのは大事だと思います。否定されるのは誰でもつらい。否定されたり、無視されたりというのが人はなによりつらいものだと思います。



現在私がTwitterでフォローしている人は1500近くいますし、このブログのアクセス数も決して少ないとは言えません。*1読む人が多ければ多いほど、それだけいろんな価値観、視点をもった人がいるわけで、自分が書いたものを真っ向から否定してくる人がいてもおかしくないのですよね。読んだ人はそれぞれなんらかの感想を持ち、「ふーん」で終わる人もいれば、はてなスたーを押される方もいます。中には否定の感想を持つ人が現れることもあるでしょう。



しかしながら、否定の感想を持たれたとしても――否定も評価ではあるのですが――それは気にしなくていいと思います。書いた文章、内容を否定されたとしても自分まで否定されたわけじゃない。人は誰でも自分の価値観で言葉を発してますし、正しいと思ってます。口論等も自分の言っていることが正しいとお互い主張するからこそ起こるわけで、お互いの「我」と「我」のぶつかりあいになることもあります。



私は口論も議論も苦手で、言葉を飲みこみ、逃げに回ること多いです。内心は納得できなくてイライラしていたりするのですが――ーそういう自分を変えたいとも思ってました。変えたいと思い、ネット上でも積極的・アクレッシブになった頃もあったのですが、長続きはしませんでした。元々そういうのは性格的に無理だったみたいです。オフ会等で会ってリアルの私のご存知の方もいらっしゃると思いますが、のほほんとしてます。マイペースです。



のほほんとしてマイペースな私ですが、否定されるといい気持ちはしません。否定されることもあるのだというのがブログの世界で、真面目に書こうと思えば書くほど、強い主張を押し出せば押し出すほど、反発的な反応が来てしまうことはあります。それをどう処理するか。スルーするというのもひとつの手ですし、否定の理由を考えてみるのも有りだと思います。否定するには否定するだけの理由があるのですよね?と。



否定の理由を聞けば納得するかもしれません。私は納得したところで前に進みたいというのがあって、しかしながら物事なんでも白黒つけられなかったりする、グレーな部分というのもあったりするのですよね。そういうグレーな曖昧な領域をよしとできるようになったのは、ごく最近なように思います。



最初に書いたようにブログに書くのは書いたものを読んでもらいたい、肯定してもらいたいというのがあるからだと思います。私がほしかったのは前へ出る勇気でした。一歩前へ出て、自分の考え、思いを表現できる勇気。発言を躊躇しない強さというのもに憧れました。リアルでは口数は決して多くありません。ぼーっと、ぽやーっとしているがゆえに、ブログやTwitter等、書く文章では快活でいたいというのがあるのかもしれません。ぽやーっとしているのも私ですし、ブログやTwitterに現れているのも私の一部だと思います。だからこそ、否定されると凹むし、もうTwitterのPOSTも見たくないし、ブログも読みたくないと言われれば凹みます。そういったことを言われれば誰でも多少なりは凹んだり動揺するものではないでしょうか。肯定の反対の否定をまともに受け、それをうまくスルーできなくて、また言い返すこともできなくてぐずぐずしてしまったりする。そうですね、情報の取捨選択は必要なのだと思います。スルーすることも必要。長くブログ、Twitter等を続けているといろいろなことは起こるもので、それをどう自分の中で処理するか、その能力というのはスルー力を含め必要でしょう。いろいろなことが起こるとしてもそれでもブログを続けるのは、楽しいからで、肯定してくれる人もいます。ひとつやふたつの否定でくじけてしまうのはもったいないように思います。

*1:アクセス数の多い少ないの感覚は人それぞれちがうかと思いますが