感情をこめて読むということ書くということ

つい先日ブログのある文章を読んで、すごくショックを受けてしまった。
突き放されたようなショックだった。



文章から感じ取ってしまったその原因を考えた。自分のそのときの感情でその文章を読んだせいだと思った。


後日、その文章をあらためて読み直して、書いた人の真意がわかった。ああ、この人はこういうことを言いたくて書いたのだと。


その時の感情で文章を読んでしまい、思いこんだり、勘違いしたりということは十分ありうる。感情をこめて読んでしまったがために読み違えてしまうという危険性。その危険性を実感するとともに、翻って書き手として感情をこめて書くことによる影響も考えなければと思った。


つまり感情をこめて書けば、それは読み手にも伝わる。自分は感情を伝えたいのか、そういう類のものではないのか、考えながら書く必要があるように思う。


特にいきおいで書いた場合、感情的が入りすぎた文章になっていないか、確認する必要があるのではないか。自分が本当に伝えたいことは何なのか。そこに感情をいれこみすぎていないか。


冷静な文章であること。
感情的な文章でないほうが、伝えたいことは伝わるのではないか。
冷静に読むということとともに冷静に書くということについて今一度考えてみたい。