ブログ。あまりにあっけなく一瞬で消えてしまう文章たちの、その儚さが愛おしい。


儚さが愛おしい。



はかなさが いとおしい。



昨日わたしはどうかしてた。昨日というか、昨晩はどうかしてた。どういうわけか一度公開したブログの記事を昨晩遅く消してしまっていた。理由はよくわからない。どうして削除してしまったのか自分でもよくわかっていない。RSSで全文発信しているので、そちらで読まれた方もいらっしゃると思う。別にそれはそれでかまわないのだけれど。特に問題がある文章だったというわけではない。



ひとつふたつのうまくいかないことが何かの前兆だったりすることはある。気にしないでおこうと思いながら、気にしてしまい、そして今度はもっと大きなことに遭遇する。遭遇して思った。

時代は進んでいっているのだな、と。

時代や流行等ついていこうとしなくなって、またついていく必要もないなと思い、楽になった。わたしはいつも流行を追って、最先端を意識していなければいけない職業についているわけでもない。一応テレビは見るし、ネットから情報も入ってくる。アンテナは自分の目につくものだけをキャッチしているにすぎないので、興味のないこと関心のないことは自然とスルーしている。


常に新しいものだけを追いかけていくのは、それはそれで楽しいかもしれない。常に前だけを向いて、振り返らない。


情報やツールの新奇性という点ではWebは特に早いかもしれないけれど、ふとのんびりと静かに本と向き合いたくなるのは、どうしてだろう。


最近読んだ本の中で出会った一文がわたしをとらえて離さない。作家が作家として長年活躍しつづけるそのすごさを見た気がした。伊達に何十作も作品を生み出しているわけではないのだなと。



Web上やブログ上でも心に響く文章に出会えるかもしれない。が、探し出すにはあまりにも広すぎるような気がする。本の世界も広大だけれど、出版というハードルがある分、クオリティは要求され保たれる(例外もあるとは思うが)。


ブログは敷居が低く誰でも書くことはできる。が、そこに自分が求めるような文章を見つけられるかどうかといえば、それはわからない。

どこの誰が書いたかもわからないブログを読むよりは本を読んだ方がいい、読むべき本はいくらでもある。

という人がいる。


そうなんだろうか?


よくわからない。
わからないけれど、ブログはブログでよさがあるし、本は本でよさがあるのだからそれでいいと思う。それぞれのよいところを吸収していけばいい。自分のプラスにしていけばいい。ただそれだけのことだと思う。



ただ、どこの誰が書いたかもわからないブログを読んでどうするの?というスタンスの人もいるのだと知って、少なからずショックを受けた。その人は書き手であるわたしにアドバイスとしてもっと本を読みなさいということが言いたかったのだろうけれど、ブログはブログで楽しんでいいじゃないかと。ブログはブログで存在する意味があると私は思う。

ブログはブログで存在する意味がある

存在スル意味ガアル。そう、その一方で、削除ボタンで一瞬にして消える世界だというのも知っている。それがブログだ。


昨晩わたしが一記事を一瞬で消してしまったように。


ブログは本とはちがう。
だからよいのだと思う。
本は本で。
ブログはブログで。


あまりにあっけなく一瞬で消えてしまう文章たちの、その儚さが愛おしい。
愛おしくてたまらない。


生まれては消えるその文章が読み手にどれだけのものを伝えるのか、あるいは伝えることなど幻に近いものなのかもしれないと思うと、なんともさびしくそして優しい気持ちになる。


たぶん、わたしは書くことはやめないと思う。どうせいつかは消えてしまう文章。百年後も残っているような文章ではないし、今書いているわたしも読んでいる人も百年後この世にはいない。


今日はいい天気だ。
風が吹き、光があふれ、そして木々の濃い影が踊っている。
言葉を紡ぎ、そしてどれだけそれを残せるだろう。
一瞬で消えてしまうそんな世界で言葉は踊る。
今日も踊る。