ブログを続けるということ。

ええ、ブログに限らずなんでもそうなのですけれど、続けるということはなかなか難しいことで、私はコンスタントに淡々と続けるというスタンスが実は好きだったりします。コンスタントに続けているサイト、ブログを尊敬します。


雨の日も風の日も淡々とコンスタントに続ける。
続けていくうちに見えてくるものあると思うのです。あるいは続けていくうちに身についてくるもの、続けているからこそ得られるもの、あると思うのです。



続ける続けないを意識しなくなる。つまり続いていることが当たり前になったら、それは毎日歯みがきをするみたいにしっかりその人の習慣の一部になっているのだと思います。歯みがきをしないと気持ち悪くなるように、ブログを更新しないとなんだか落ち着かない、とそこまでの域に達したらすごいなと思います。まぁネタがあって書きたいことがあるときに書くというブロガーが多いと思いますし、わたしもそうです。書きたいことがあったときに書く。



続けているということ、続いているということは、ある意味自慢じゃないですけど、誇りに思っていいんだと思います。ええ、長く続いているというのは、すごいことだと思います。ブログの寿命というのかな、更新が止まるまで平均でどれくらいなのか、ちょっとわからないのですけれど、そうですね、サイトだと寿命は3年くらいというのは聞いたことあります。サイトといってもニュースサイト等いろいろあるわけですが、そうですね、3年以上続けるというのはなかなか難しいのかもしれません。ブログだとそうですね、長いものは長いけれど、短いものは短くて、ええ、RSSに登録したものの更新がとまっているブログ多いです。更新されているブログは更新されるけれど、一度止まるとなかなか更新されないですね。Twitterばかりして、すっかりブログを書かなくなったというつぶやきもTwitterで見かけます。



続けることの難しさ。
それはあると思います。いくら気軽に好きなことを書いていいと言われても、いざ書くとなると構えてしまうのですよね。Twitterは書いたものも流れていく感じがありますが、ブログはログとして残ります。どうせたいしたこと書けないのだから、書かなくてもいいやというときもあります。すべてはブロガー本人次第で、つい自分に甘くなってしまい、ずるずると更新しないまま放置してしまうということもありますね。



毎日更新とまではいかなくても、二日に一度、あるいは三日に一度はブログを書くという目標を自分に課してもいいのかもしれません。どうせ書くことなんかないんだし、ではなく。ええ、20分なら20分思ったことをだーっと書き出してもいいのですよね。ええ、なにも格好つけなくても、書きたいように書けるだけ書くというのでもいいと思います。増田がそうだと思いますが、書きたいことを書いた文章というのには、力があります。格好つけた無難な文章より、思い切って大胆な本音を吐露した文章の方が、人をひきつけるというのはあると思います。



できれば多くのブロガーにブログを続けてほしいと思います。ひとつでも記事を。何か思うこと考えたこと感じたことがあればそれを文章にし残してほしいと思います。



最後に最近読んだ西の魔女が死んだ (新潮文庫)から引用したいと思います。

ありがたいことに、生まれつき意志の力が弱くても、少しずつ強くなれますよ。少しずつ、長い時間をかけて、だんだんに強くしていけばね。生まれつき、体力のない人でも、そうやって体力をつけていくようにね。最初は何も変わらないように思います。そしてだんだん疑いの心や、怠け心、あきらめ、投げやりな気持ちが出てきます。それに打ち勝って、ただ黙々と続けるのです。そうして、もう永久に何も変わらないんじゃないかと思われるころ、ようやく、以前の自分とは違う自分を発見するような出来事が起こるでしょう。そしてまた、地道な努力を続ける、退屈な日々の連続で、また、ある日突然、今までの自分とは更に違う自分を見ることになる、それの繰り返しです」

西の魔女であるおばあちゃんの言葉です。

ええ、続けることって大事だと思うのです。
そして、体験すること。
この物語の中で、まい(中一)はおばあちゃんとともにジャム作りや洗濯等さまざまな体験をしますが、体験というのはなにものにも代えられないものだと思うのです。体験は経験と言い換えてもいいと思います。
体験(経験)についてはまた近いうちに記事を書きたいと思います。


西の魔女が死んだ (新潮文庫)

西の魔女が死んだ (新潮文庫)