結局のところ、働く場所。仕事。

最近車を運転していて、ある2階建てアパートが目にとまったのですよね。
ひとつの部屋をのぞいて、あとはみんな空いているみたいで、入居者募集の張り紙が。
わりと新しいアパートで、でも借りて住む人はいないみたいで、ああこれじゃ大家も頭が痛いだろうな、と。


そういう状況はおそらく地方のあちこちで起きていて、別に珍しいことじゃないんだと思う。
地方には仕事がない。だから仕事を求め、働くために都会に出て行ってしまう。
都会はすでに飽和状態。人が集まりすぎてる。


東京から来たある人が言っていたのですけれど、その人は専門職で働いていて、東京に住んでいたときは同業者も多くて仕事をゲットするのもたいへんだった。
けれど、ダンナさんの転勤で福岡に来て、福岡には同業者がものすごく少なくて驚いた、と。仕事自体も東京より少ないのだけれど、そもそも同業者が少ないから、一度仕事をゲットしたら、「次もお願いします」と言われて仕事に困らなくなった、と。まぁ、給与とかそういうのは東京と比べたら下がるけど、福岡の場合、物価も特に家賃は東京よりぐっと安いから、別に困るというほどじゃなくて、とにかく「次もお願いします」と言われるのがうれしかった、と。


で、この前書いた『人を大事にするということ。』という記事ともつながってくるのですけれど、
http://d.hatena.ne.jp/komoko-i/20100421/p2
なんていうのかな、彼女みたいに専門職だったり手に職があったりしたら、地方でもやっていけるのかな、と。
簡単にやっていけると思うのは甘いかもしれないけれど、都会は仕事もいろいろあるかもしれないけれど、人も多くて、少ない仕事を奪い合っているような、そんな感じがします。


少ない仕事を奪い合うということに関連すると、
『すき間というのは世の中に必ずあるもの。そこに入りこめるかこめないか。』
http://d.hatena.ne.jp/komoko-i/20100421/p1
という記事を思い出すのですけれど、魅力的なすき間には人がおおぜい集まってきて、またそういう魅力的なすき間はすでに早い者勝ちで埋まっていたりするのですよね。つまり、すき間ではなくなっていて、指をくわえて見ていないといけないのが現状だったり。

まぁ、

それでも自分で動かなければ何も変わらない

ということになるのですけれど、すき間を地方に求めて動くというのも有りなのかな、と。
いや、地方はすき間だらけで、というより人自体いなくてどうしようもないっすよ、と言われたらそこまでなのですけれど、地方の再生っていうのかな、地方でもできることはあると思うのですよね。


そうですね、今までずっと東京みたいな都会にいて、いきなり地方に引っ越して、となるとそのギャップに戸惑うというのはあると思います。友人も九州のとある田舎に引っ越して、まわりに若い人がいなくて本当に寂しい、友達ができないと言っていましたし。都会の生活に慣れていると田舎は不便で、そのくせ周りはうるさくて煩わしくてというのもありますね。娯楽もないし、おしゃれなカフェもなければ、大きな書店もない。面白いイベントがあるわけでもないし、オフ会を開こうにも人が集まらないし、休日の時間をもてあましてしまうというのはあるかもしれません。
やはり地方には若い人は残っていなくて、最近見かけたアパートみたいに、土地はあって新しいアパートを建てたとしても住む人自体いないんだろうな、と。住む人がいないのにアパートを建てて、なんとももったいないなぁと。


手頃な値段で住めるアパートはあっても、仕事がないんじゃ地方には住めないよ、ということで、やはり働く場所を確保するところから始まるのですよね。結局のところ、働く場所。仕事。働く場所や仕事があったら人は集まってくるわけで、働く場所や仕事がないから、仕事がある都会へ行く。同じように出て行く人が集まって、都会では仕事の奪い合いで、疲労困憊して、うーん、それでも仕事がある都会に残るんだろうな。まぁ、一方で地方でのんびりと(?)働いている人もいるわけで、さっき書いた彼女みたいに専門職だったり手に職があったら、どこでもやっていけるのかな、と思ったり。


なんかうまくまとまらなかったけれど、消すのももったいない気もするので、残しておこうかな。