子どもと笑顔と成熟と。

子どもがその場にいるというだけで周囲の雰囲気がなごんだり明るくなったりというのはある。
以前、子どもが生まれなくなった世界が舞台のSF映画を見たけれど、その世界には悲壮感が漂っていた。

子どもがいるだけで笑顔になれるよね

あるお母さんが言っていたが本当にそうだと思う。


子どもも若者も経験値が少ないので仕方ないと思う。
感情表現が激しくくるくると変わるのも子どもだ。泣いたりわめいたり、飛び跳ねたり。
子どもはうるさいので好きじゃないという人もいるけれど、
一般的に子どもは昔からうるさいものだと思う。
子どもがうるさくて好きじゃないという人はその人が小学生の頃は教室で騒いで先生から叱られたりということはなかったのかな、と思ったりする。悪ふざけしたりしてというのは子どもにはよくあることだと思う。


年をとるにつれて余裕が生まれてきたというのはある。
物事を俯瞰して、全体を見れるようになったのも年をとってきてから。
人によって見方はちがう、感じ方も大きくちがうのだということを知ったのは、働きはじめて十年してからだと思う。
とても影響を受けた人がいて、十年目にそのことに気がついたとき、人は何歳なっても成長できるんだよ、成長したね、と言われ嬉しかったのを思い出す。


子ども時代の成長はめざましい。それは心身ともに成長する時期だからだけれど、大人になったからといって、その成長が止まってしまうとは思っていない。
身体の成長は止まってしまっても、精神的なものは成長していくものだと思う。


ときには体は大人だけれど、精神的には子どもだなぁと思う人に出会うことがある。話すこと、関心があることが子どものようで、なんとも幼い。社会に出て働いていたら常識だろうなぁということも知らなかったりするし、きっと誰からも教えてもらえないまま育ってきたのだろうな、と思う。
結局のところそういった常識、マナー等を知らないで評価を落とすのはその人自身なのだと思う。


シビアな人というのはいる。いわゆる他人を厳しく評価する人だ。


そんな他人の評価なんか気にしないよ、という人もいるかもしれないが、会社といった組織では、その評価というのは案外侮れないものだったりする。


どうしたら成長できるのか。
それは自分で成長しようと思わなければもう成長はできないように思う。
いや、ずっと成長することなんかできないよ、と言う人もいるかもしれない。
成長という言葉が不適切なら、成熟と表現してもいいかもしれない。
人間的に成熟していくというのはある。年を取るにつれて成熟していく。
成熟しているなぁと思う人がTwitterでフォローしている人に何人もいる。
その人たちの発言はやはりしっかりしている。考えさせられるもの気づかされるものも多い。
そうして考えたり気づかされたりすることで自分の成熟度がちょっとでも増せばいいな、と思う。


子どものように笑顔を忘れないでいたい。そして中身としては成長、成熟できたらよいなと思う。