昔に戻りたいか、戻りたくないか。


今月末で終わってしまうのだが、NHKの連続ドラマ『ゲゲゲの女房』を毎朝見ていて、セットを見てこれが昭和の時代なのだなぁとそう思う。昔はのんびりしていてよかったのかもしれないなぁ、高度経済成長期で、人はもっとイキイキしていたのかもしれないなぁと思ったり。


昔はよかったなぁと思う人は、少なからずいるのではないだろうか。


私の場合、昔に戻りたいとは思わない。
それは今が楽しいから。
そう言ってしまえばそれで終わってしまうのだけれど、さまざまな経験や人との出会いややりとりをしていくうちに、やたらと揺れ動くことがなくなり、楽しいことの方が多いように思う。昔は感情的に揺れ動くこともあったのだけれど、今は落ち着いて静かな自分でいられて、それが心地いい。


昔よりも今の方が精神的に疲れることが少なくなったという感じだろうか。(まったく疲れなくなったというわけではないのだけれど)


昔の、それこそ二十歳くらいの私だったら、くよくよと気にしてしまいそうな言葉を今言われたとしてもどうってことなかったりする。
否定する人は否定するし、嫌味や皮肉をよく言う人はやっぱり嫌味や皮肉を言うものだ。いちいち気にしていても仕方ない。


生きるのが辛いなぁと思えば辛いだろうし、まぁ、こんなもんだろうと思えばこんなもん。楽しいと思えば楽しいし。


時代が変わっていくのは当たり前のことだし、どういう時代になろうとなんとか生きていけるんじゃないかと思う。
あるいは生きていけるよう知恵を働かせるしかない。
楽天的といえば楽天的かもしれない。


朝の静かな時間が好きで、はやく目が覚めると、それだけでうれしい。
得した気分になる。


今朝は特に早く目が覚め、4時に外を見たら東の空にオリオン座が!
オリオン座くらいなら私でもわかる。
シリウスも。
冬しか見れないと思いこんでいた星座がみれてうれしくてTwitterでつぶやいてしまった。


暗い空がやがて群青色に少しずつ明るくなっていくその空をぼーっとながめているだけで本当に心が安らぐ。
日常や自然にしあわせを感じるようになるというのも、年をとってきているからかもしれない。


非日常も楽しいけれど、それはあくまでイベント的にスパイス的に楽しみたい。
普段の生活も楽しむ。
楽しくすることはできると思う。
なにも贅沢しなくても、炊きたてのごはんとできたてのみそ汁、それだけでも十分しあわせを感じられるものだと思う。




人はだんだん変わっていくものだと思う。
ゆっくりゆっくり変わっていくもの。


先日、友人が実家に帰省をしたところ、ものすごく頑固できつい言い方ばかりする親がものすごく穏やかで動きも緩慢になっていて驚いた。親も年とったんだなぁとつくづく思ったよと言っていた。


年をとるとともに頑固になる場合もあるだろうけれど、その逆もあると思う。


私も昔に比べれば、ほとんど怒ることもないし、イライラすることもない。のほほんと自分のペースで動いている。それがいちばん楽だ。


もう競争はしたくないし、受験勉強もしたくない。どうせ勉強するなら自分の興味のある分野の勉強をしたい。


年をとってからのほうが自由を感じるし、だんだん忘れっぽくなっているのもあるのかあまりくよくよ悩むこともなくなった。気にしてもしょうがないものはしょうがない。
自分ではどうにもならないものがたくさんありすぎるというのもわかってきたし、「自分の力だけでどうにかできる」と思ったらそれは不遜。思いあがっているのだと思う。


かといって、「自分は何もできない」と無力感にひたっていてもしょうがないので、とりあえず「できることをやるだけ」だと思う。
とりあえずできることをやって、まぁなんとかなるだろうという余裕がでてきたというのもあるかもしれない。まぁ年をとるのも悪くないなぁとそう思う。


昔に戻りたいか戻りたくないかといえば、戻りたくない。
どうせ昔には戻れないわけだし、本当に大事な昔の記憶はちゃんと自分の中に残っているのだからそれでいいと思う。
こうして書きたいことを書いている「今」そして「これから」を大事にしたいと思う。