ブログ、サイト、Twitterログ。自分が死んだあとも残してほしいか。消してほしいか。

最近原作を読んで映画DVDを見るというのがマイブームなのですけれど、先日『おろしや国酔夢譚』(井上靖)を読んでおろしや国酔夢譚 特別版 [DVD]を見て、ふと死んだあとも残るということを考えたのですよね。

おろしや国酔夢譚 特別版 [DVD]

おろしや国酔夢譚 特別版 [DVD]

おろしや国酔夢譚 特別版 [DVD]で主演されている緒形拳氏は故人なのですが、こうしてDVDで今もあたかも生きているかのように姿を見れるというのはすごいなぁとそう思います。緒形拳氏の大黒屋光太夫役本当にすばらしかったです。

ずっとあとまで残してほしいか。ほしくないか。

映画ですとDVD化され作品としてずっと残ることになります。演じた本人が故人となって以後も撮影されたものを見ることができるのですよね。このことはWebでも言えると思うのです。ブログやサイト、Twitterでつぶやいたものがずっとあとまで残る。つまり書いた本人が死んだあともずっと残る、そのことについて他のブロガーやサイト管理人、Twitterユーザはどんな風に思っているのかなぁと。(契約や規定等で第三者によって削除されることもあるわけですが)
「死んだあとのことなんか知らない」という人もいるかもしれませんが、

  • 自分が死んだあともずっと残しておいてほしい
  • 自分が死んだらきれいさっぱり消してほしい。


どちらかに分かれるかなぁと。


自分が死んでも書いたものは生きていた証として残っていてほしいと思う人もいるでしょう。あるいは逆に、死んだら消してしまってくれ。死んだあと残ったものであれこれ言われたくない。と思う人もいるのではないかと思うのです。


ブログを墓標みたいなものとしてずっと残し続けたいという人もいるだろうし、それはそれでいいんじゃないかなと思ったり。故人が親しい人であれば時折読みに行ったり、読み返してしみじみ故人を懐かしんだりする人もいるかもしれません。

私は残しておいてもいい派

うーん、わたし自身それほど自分のログにこだわるほうではなかったのですけれど、そうですね、残るなら残しておいていいかな、と。


このブログもはじめた頃は日記感覚で書いているので、読み返してもたいしたことは書いていないです。その部分は残しても残さなくてもどちらでもいいかな。
残しておきたいなぁと思うのは長文の記事ですね。
長文を書くスイッチが自分的に入ったなぁというのは『ついてくる読者はついてくると思う。それでいいんじゃないかな』の記事だったりします。
ニュースサイトまなめはうすのまなめさんのブログ『304 Not Modified』の中の記事にTBをうった記事で、三次のレベル、歪度(三乗平均)、データの偏りとかSKEWのグラフとかかなり時間をかけて調べつつ書いた記憶があります。


ブログの場合、芸能人でも有名人でもない一般人の日記的なものを読みにくる人は本当に少ないと思います。やはり、読ませる内容があるものに人は集まるように思います。あるいはお役立ち系の記事でしょうか。
わたしの場合、日記的なものでは物足りなさを感じ、このトラックバック記事がきっかけで、以降、徐々に加速しつつ考察系・思考系の長文記事が増えていきます。
うーん。まぁそういった記事は、それなりに時間をかけて書いているので、それは残しておいてよいのではないかなぁと・・・。死んだからといってすぐに消してしまうのは、なんとなくもったいないかな、と。


また、Twitterのログに関しても、残しておいてもらえるなら残しておいてほしいかな。読み返すほどのつぶやきはありませんが、別に残っていてもいいかな、と。
Twitterについては、『ユーザーが亡くなったときの対応ポリシー』(さまざまなめりっと)というまとめがありますので、興味のある方はどうぞ。