自分の答えを出せるようになるということ。

  • 今の自分を変えたい。
  • そのためのヒントになるものを見つけたい。

そう思いながら読書するときがある。


のんびりのほほん。今のプロフィールに書いているけれど、私はかなりマイペースだと思う。優柔不断なところもある。
優柔不断なのは、臆病なところがあるからかもしれない。
臆病な私にないものは、自信。
少しでも自信のある自分になりたいとそう思う。


書くことは好きだけれど、しかしながら、多くの人を惹きつけるようなすごくためになるようなものは書けていないように思う。


書いたものにいただく感想は「共感した」「あらためて自分で考えてみようと思った」というものが多い。
そして、それを本当にうれしく思う。

こもこはこういう風に書いているけれど、自分はこう思う。
こもこはそういうやり方を書いているけれど、自分だったらこうする。

と。
自分に置き換えたところの答えが出てくるのはよいことだと思う。

自分で考えて、自分の答えを出せるようになるということ。


それは生きていくうえで大事なことだと思う。


自分で考えて出した答えが他の人の答えとちがっていてもいい。むしろ人それぞれ考え方がちがうのだから、答えがちがっていてもおかしくはない。そう思う。


誰かが出した答えを丸写しして、それでよしとし、わかったつもりになるのはどうだろう。借り物の答えは所詮借り物にすぎない。すぐに自分に合わなくなってくる。そのうち違和感を覚えてくると思う。

拙くてもいいから自分の答えを出すこと。
自分の答えを出せるようになること。

たとえそれがありきたりで、他の誰かが似たような答えを出していたとしても、自分でたどり着いた答えなら納得感がちがうと思う。

こういうときは、こんな風にすればいいんだという答えが自分で出せるようになること。

それが成長ということなのかもしれない。


成長していくうちに、それまでできなかったことが少しずつできるようになり楽になっていくというのはあるように思う。


例えば、1〜2才の子どもは、階段をのぼるのも危なっかしい。手すりをつかって、あるいは、階段に手をついて這うように、あるいは一段一段一足一足ゆっくり階段をのぼっていく。
が、成長していくうちに、階段をのぼることは造作もなくなる。そのうち一段飛ばしで階段を駆け上がることもできるようになる。


これは、身体的能力の成長の例になるけれど、他の能力でも同じように言うことはできると思う。
できなかったことができるようになること。
それは素直に喜びたい。


一気になんでも答えが出せるとは思っていない。
ずっとずっと悩んで考えて、そしてやっと答えが出せるというときもある。
たぶんこれでいいんだろうな、というような答えが。
私なんて優柔不断だからそういうことばかりだ。

本当のコミュニケーション
http://d.hatena.ne.jp/komoko-i/20110218/p6

という記事を書いてメッセージをいただいた。このブログは「考えさせられるテーマが多いです」と。
このブログの記事が考えるきっかけになるのはとてもうれしい。


「自分はこう思う」「自分はこう考える」という答えを出すまでの思考の過程が大事で、「自分の答えが出せるようになる」ということ、それはきっとその人にプラスになると思う。