自由に書くということ。

1.自由の限界

まぁわりと自由に書いてきたつもりなのですけれど、それでも一応ひとつの記事にいいたいことはひとつとか、まとまりをつけるタイトルをつけないといけないとかそういうことを意識すると、なんとも窮屈で。


型は大事。それはわかっているけれど、ときに散文的なものを書きたくなる。理路整然と論理的に書かなきゃいけないという決まりもないよねと。


そもそも思考というのは整然と並んでいるものじゃないとそう思う。あっちこっちに飛んだり、ぐるぐる周回したり、ときにループにはまってしまったり。


話がいきなり飛んだり、同じコトをくどくど書くと、読み手は不快に思って、ページを綴じてしまうので、やっぱりブログでそれをやるわけにはいかない。


自由に書くにも限界がある。書き手としてはやっぱり最後まで読んでほしいというのがある。やはり話の流れは大事で、話がいきなり飛ぶと、「は?」と読み手は眉間に皺を寄せることになってしまう。話が飛ぶことで読むのをやめてしまうことも十分ありうる。


最後まで読んで「なるほど、今日のこもこさんはこういうことが書きたかったのね」とわかってもらえるように書きたいというのはある。女性の場合、共感してほしい、わかってほしいという傾向が強いみたいだ。まぁかく言うわたしも女性なのだけれど。


2.楽しいから続いている

書くのは楽しい。
自由に書くのは楽しい。


ブログを書くのも自由に書けて楽しいから続いているんだと思う。
楽しいから続いていて、それでいいんじゃないかな、と。


なんていうか、ブログをはじめたあと、アクセス数とかブログを書く目的とかそういったものにこだわりはじめたらおそらく苦しくなってくると思う。窮屈になって思うように書けなくなると思う。


一時期アクセス数を気にしていたけれど、気にしてもしょうがないなぁと最近は気にしなくなった。


確かにアクセス数は少ないよりは多い方がいい。
でも、それを言い始めたらキリがない。

目標○万アクセス/Day

と掲げて、アクセスされそうな記事を書いて、まぁその記事が本当に自分の書きたい記事ならいいけれど、たぶんそうじゃない場合のほうが多いと思う。(特にわたしの場合)


ニッチでマイナーな、例えばブログ論なんかを書くほうがわたしは好きだし楽しい。
ライフハック的なものを書いたらアクセスが増えるのはわかっているけれど、それよりは自分のつぶやきを自由に書いて残しておくほうが自分的に満足感があってよい。


自分的に満足していること、それはすごく大事なことだと思う。
自己満足と書くとなんだか自分だけ満足して、他の人にはつまらない意味が無いみたいな意味にとられがちだけれど、自分が満足するようなものが書けていないのに、他の人を満足させることなんてできないんじゃないかと思う。


例えば、料理でいえば、自分で食べて美味しいと思うものが作れていないのに、それを他の人が食べて美味しいと思うとはとても思えない。


ブログの場合、目が肥えている人が本当に多くて、適当な緩いことと書いても気にもとめてもらえないのが現実だったりする。


同じようなことばかり書き続けても飽きられるし、時にそれまで書いたものをひっくりかえすくらいのことを書いてみるとか、そういうことをしてみてもいいんじゃないかと思う。


結局のところ、仕事にしろ勉強にしろダイエットにしろつらいなぁと思うことは続かないし、たいした成果は出せない。楽しいからこそ続くというのはある。


その楽しさは、自分がそう感じられればそれでいいのだと思う。自分がしていることを評価されたいとか認められたいとかたくさんブクマされたいとかそういう意識が強くなりすぎると、楽しさから遠ざかっていくように思う。


3.ブログにどういうことを書くか書かないか

それなりに文章を書き続けてきて、こういうタイトルで書けばそれなりにアクセス数が得られるだろうというものはわかるけれど、あえて書きたくないという天邪鬼なわたしがいたりする。


ブログにどういうことを書くか書かないかその選択の自由は書き手にある。
その自由を大事にしたい。
書きたいことは書くし、書きたくないことは書かない。
それでいいのだと思う。


考えていることすべてを書くことはできないし、特に大事なことは大切にしまっておきたいというのがある。


自由に書くということ。
自由に書いてすっきりするというのはある。
その一方で、自由に書くことに躊躇する部分があるのも確かだ。
言いたくないことは言わなくていい。
書きたくないことは書かなくていい。
そっと大切にしまっておくのがよい。
そんな風に思う。


やはり、書けることを書くしかない。
そう思う。
書けないものは書けないし、無理矢理書いたってたいしたものは書けない。
書けることを書いていけばいいんじゃないかとそう思う。