がっかりするのは、何かを期待しているから。

NoBorderに書いた回答のあとがきを今彼女は書こうとしてる。「今回もいろいろ考えさせてもらった。いい経験ができた。」そんな風に彼女は言っているよ。


僕も期待とがっかりについて考えてみたよ。


写真ってさまざまな解釈ができるよね。
NoBorder第4回のお題は3枚の写真を使って書くというもので、彼女は最初ショートストーリーを書こうとしていたらしいけれど、おそらく小説仕立てのものは他に出てくるだろうから、できればかぶりたくないなぁというのが彼女の中にあって、結局、心理テスト形式にしたらしいよ。彼女らしいね。

とにかく簡単!でも驚くほど当たる心理テスト
http://blog.livedoor.jp/noborder12/archives/5659743.html

写真を見てどれを選ぶか。
直感で選ばせて、その人の状況を語るというもの。


一応、色彩心理の本を借りて調べたらしいよ。
写真の色や対象物を状況の根拠にしようとしたらしいね。


まぁ、この中でもっともらしいことを書いているよね。ネタといえばネタだから、テキトーでいいんだろうけど、そのテキトーに書いたものが「つまらない」「ひねりがない」とか「がっかり」とか、そういう感想がきて彼女はちょっと凹んでた。


もっとも、つまらないと感じるのはその人の自由で、その人にとってつまらないのなら、それはつまらないものになるんだろうね。
まぁ人生とか毎日とかもそんなものかもしれないよ。
つまらないと思ったらつまらない。楽しいと思ったら楽しい。


NoBorderでは、お題も写真も解釈は自由にしていいというのがルールだ。どういう風に書こうとそれは書く人の自由。自由だからこそ悩むんだけどね。悩む自由、悩む時間もまた楽しいものだよ。ああでもない、こうでもないと考える時間も人生の中には必要。こうしたらどうだろう、いや、こういうのもいいかもしれない。試行錯誤してみればいい。自分でやってみてわかることはあるからね。やったこともないのに偉そうなことは言えないというのはあるね。あれこれ言うなら、やってから言えって僕は思うよ。そう、同じ土俵でね。


感想も自由に持っていいんだ。
つまらないなら、つまらない。
面白いなら、面白い。


ただ、僕は、どうしてつまらないと思ったのか、どうして面白いと思ったのか、そのどうしてを考えることのほうが有意だと思うよ。


読んだものが自分の期待していたものとちがっていたからつまらないと思ったのかもしれないね。
自分の期待していたものとちがって、がっかりするというのはよくあることだからね。


でも、そのがっかりの責任は自分にあるんだ。
自分が期待し、そしてがっかりした。


がっかりしたからって、誰かを責めちゃいけない。
期待していたのは自分。

どういうものだったら、がっかりしなかったんだろう?
自分だったら、どういう風に書く?
ぜひとも自分だったらこう書くというのを見せてもらいたいね。


確かに高いお金を払って、それに見合うだけのものが得られなくて、それで腹を立てるというのはわかるよ。これだけの金を払ったのに、がっかり、というのは僕も経験ある。


どうなんだろうね、期待しすぎてしまうのがよくないのかね。
がっかりしたくなかったら、最初から期待しないことなのかね。

「がっかりするのは、何かを期待しているから」

って僕は思うんだけど。