ネットにおけるやりとりの難しさ

ネットで誰かとやりとりをする、そのときの難しさを実感している。
話が伝わっているのかどうかわからないし、やはり顔が見えないので必要以上に想像や憶測をしてしまう。これは本当に疲れる。

こんなに疲れるのであれば、ネットでやりとりしなければいいのではないか。そんな風にも思ってしまう。

人によってはデリケートな部分、問題を抱えた部分があって、その部分を前もって知っておけば、わざわざその部分に触れたりということはしない。(それが一般的だと思う)が、ネットでのやりとりで、それらデリケートな部分、問題を抱えた部分を知らずに触れてしまった場合、時にそれが地雷だったりして、こちらとしても慌ててしまうことがある。ネットの場合、フォローすることがなかなか難しいというのもある。すっかり相手の機嫌を損ねてしまったという経験をしたことがある人もいるのではないだろうか。

ネットにおけるやりとりの難しさ。それはなにかしらこじれた時に露呈する。

難しいことは百も承知。それはもう仕方がない。仕方がないと受け入れた上でそれでもやりとりはやめないと思う。それはどうしてだろう。やはり伝えたいとそう思うからだろうか。
完璧に伝えることは無理かもしれない。けれど半分でも三分の一でも四分の一でも伝わればよいなと、そう思うからかもしれない。