批判や非難は最良の解決方法ではないということ

1.批判、非難、怒りにはリスクがあるということ

言いたいことがいろいろあってそれを抑えられなかったり、相手が納得するようにうまく伝えられなかったりで、苛々する人います。その苛々もわかるのですけど、誰か他の人を批判したり非難したり怒ったりというのは相当なリスクがあるということ頭においておかないと、あとあとトラブルになることあります。なんていうか、人って長所もあれは短所もあって得意もあれば不得意もある。能力もそれぞれ。どんなに頑張ってもたいした結果を残せない場合もあるのですよね。

2.頭でわかっていても、なかなかできない

受験とか就活とか仕事もそうですが、誰もが能力があって器用に要領良くできるというわけではないです。

その人が生きているようにしか生きられない

ってあるのですよね。
いくら周りが注意してもなかなか治せないことあります。
頭では

  • ネットばかりしていちゃいけない。
  • Twitterばかりしてちゃいけない。
  • ゲームばかりしていちゃいけない。等

「〜ばかりしていちゃいけない」とわかっていても、ついしてしまう。

他のことで言えば、

  • そんなに食べちゃいけない。
  • もっと体を動かさなきゃいけない。
  • お酒をそんなに飲んじゃいけない。
  • タバコもそんなに吸っちゃいけない。
  • そんなに無駄使いしちゃいけない。
  • もっと貯金しなくちゃいけない。
  • もっと部屋の片付けをしなきゃいけない。
  • もっと早く寝るようにしないといけない。
  • もっと仕事しなきゃいけない。
  • もっと勉強しなきゃいけない。

などなど。頭ではわかっているんですよね。でも……。
あるいは、

もっと挨拶して、愛想よくして、周りとコミュニケーションをとらないといけないなぁ

とか、わかっていても、なかなかできないもの。


「北風と太陽」という話がありますけれど、できない人に対して北風のように厳しく批判したり非難したりすれば、反発されるだけ。悪化するだけのように思うのです。

なんでネットばかりするの?
なんでゲームばかりするの?
なんでなんでなんで?

3.非難する側は自分の方が正しいと思っている

他の人を批判したり、非難したりする人は、自分の方こそが正しい。自分はきちんとしているというような自負があったりするのかな、と。

自分はこれだけやってる。
これだけできる。これだけやってきた。
なんでおまえは、おまいらはできないんだ。
できないのを開き直ってるんじゃねーよ。
できるようになってこそ。努力してこそだろ?
できる俺をみならえよ。
もっと俺をほめろよ。
もっと俺を認めろよ。

という本音が隠れているようで、なんだかなぁと。


まぁ、がんばることは良いことですが、がんばっても無理なことあります。
今の時点で精一杯だったり、現状でいいと思っていたり。

いや、それじゃいかんだろ。現状維持じゃ。現状に満足してそれでいいのか。
もっと自分を高めろよ。
できないままで足を引っ張ってんじゃねーよ。
なんとかしろよ。
できないのはクズだ。

とそこまで言われると言われたほうがキレたとしてもおかしくはないな、と。


上から目線で言ってくる人は、つまりは自分の優位性を示したいだけかもしれません。

4.寛容性の問題について

口うるさい人、あれこれ口出ししないではいられない人というのはその人の中に

「これはこうでなければならない」

という規範や確固 としてルールがあって、それからはみ出る行為や態度は許せないのかな、と。
つまりは、寛容性がない。
「いや、これでも譲歩してるんだよ」そう言う人もいます。
「これでも」ということは、本当はもっとその上のレベルを求めている、ということ。
求めるのはその人の自由ですが、必ずしもその求めに応えられるとは限らないのが人間なんじゃないかな、と。


例えば、
「お姉ちゃんが国立の◯◯大学に受かったんだから、弟の××もそれくらい受かるよね。」
親は期待します。弟の方にも求めます。
でも、兄弟間の能力差学力差があるように、弟も姉と同じ大学に受かるとはかぎらないのですよね。優等生タイプで、コツコツ勉強する習慣がある姉と、勉強に興味がなくこれまで遊ぶことに時間もエネルギーも注いできた弟。進学なんて正直どうでもよくて…。そんな弟に口うるさく言ったとしても、ノイズにしかならない。「うるせーな」と舌打ちするだけ。
「お姉ちゃんは国立大学に行ったのに、弟の男のあなたが高卒でどうするの?男なんだから大学ぐらい行かないと!」
これは親の価値観ですね。それを子どもに押し付けてます。
なんていうか、持って生まれた性格とか傾向とかどうしようもないというのはあるのですよね。変えられるかもしれないけれど、無理に変えれば反動がきます。

少しずつ変わること。

変わるためには本人の意思がないと結局のところ変わらないように思います。

「どうしてそんなに成績が悪いの?」
「なんでそんなに勉強しないの?」
「ゲームばかりしてなんになるの?」

批判や非難でその人を低く評価しつづけるうちは、おそらく良くはならないでしょう。批判、非難で発奮し努力できる人は実際のところ少ない。よほどの負けず嫌いかプライドが高いか、でしょうか。


批判や非難で改善するということはまずないです。うんざりしてむしろやる気をなくすか自暴自棄になるか。アドバイスだったら受け入れることはできるかもしれません。一方的にダメ出しされても、どうしようもないのですよね。

5.相手には相手の性格、価値観、能力

相手には相手の性格、価値観があって、能力があります。そこのところをわかって接する。相手も自分と同じような価値観で同じように能力があると考えるのはトラブルの素ですね。


人が言うことを理解できない人います。頭の回転が速い人についていけない人います。
「なんでわからないの?」
「なんでできないの?」
でもそれを責めても仕方ないのですよね。


繰り返しになりますが、

相手には相手の性格があり価値観があり能力がある。
自分と同じだと思わないこと。


私は、批判や非難が最良の解決方法だとは思っていません。
相手の負の部分劣っている部分を指摘するだけでは解決にはならない。

6.北風ではなく太陽で

北風では人との関係はうまくいかなくなります。
北風で人は変わらない。

「いやぁ、よくやってるんじゃないの?」
「いろいろたいへんだよね」
「おつかれさま」


まあ、時に手厳しいことを言う人も必要で、怒ることも場合によっては必要。
怒られた理由に気づいて反省できる人は成長できます。まぁ反省できない人は、やっぱり同じことを繰り返してしまうわけですが。


感情的に怒鳴られたら、怒鳴りかえしたくなります。敵対意識を持ってしまうもの。
それが人間。
怒鳴ることなく相手を動かす、それが大人のやり方ではないかと。