満たされた時間を持つということ

かなりの、というか「中毒」と言っていいほど、本が、活字が好き。
図書館では相変わらず本を借りまくっている。読み終わらなくても気にしない。
とにかく興味を持ったものはページをめくってみるようにしている。


最近読んだのは

こばやしゆうのつくる暮らし。

こばやしゆうのつくる暮らし。

ナチュラルテイストなものを作るのが好きな人にオススメの本。

ものを作っている時間そのものが人生に質を与える。
どれだけものを持てたかではなく、どれだけ満たされた時間を持てたか。
作られたものは、ささやかな暮らしに
海底の珊瑚のような彩りを添える。


こばやしゆうのつくる暮らし。』より

この中の

「どれだけものを持てたかではなく、どれだけ満たされた時間を持てたか。」

というところが好きだ。
「満たされる」という響きにうっとりする人はわたし以外にもいるだろう。
満たされたいという欲求は自然なこと。
満たされている人は落ち着いているし、不平不満も少ないんじゃないかなと思う。
その満たされた状態にどうやったらなれるのか。
それはその人次第かな、と。


満たされている人の真似をしてもいいけれど、でもやっぱりその人と自分はちがう。そのうち無理がきたり違和感を感じたりするんじゃないかなと思う。
自分で自分を満たしていくというのが私は好きで、どうやったら満たされるのか、それは自分で試行錯誤するしかないと思う。かく言うわたしもこれまで様々なことをやってきた。やってきたけれど、結局のところ「基本に戻る」というか、子どもの頃から好きだった「本を読むこと」それこそがわたしを満たしてくれるものだと気づいて、それ以来いつも手元に本を。時間があるときは本を読むようにしている。読みたい本を探す時間もまたわたしを満たしてくれる時間でもある。


子どもの頃好きだったことは大人になってもやっぱり好きなことだったりする。子どもの頃、親に郊外の大型書店に車で連れていってもらうのが嬉しくて楽しくて仕方がなかった。本屋に行くとワクワクするのは今も変わらない。


「なんだか毎日がつまらないな」という人は子どもの頃好きだったことをやってみるといいんじゃないかなと思う。「なんか楽しそう」「面白そう」ということをやってみるだけでも「いい刺激」「気分転換」になるはず。


繰り返しになるけれど、満たされた時間を持てるかどうかは自分次第。満たされたい!でも満たされない。「ねぇ誰か満たしてよー」的なスタンスだといつまでも満たされないままかもしれない。どういうことで自分が満たされるか満足するかはやっぱり自分じゃないとわからないと思う。


自由に好きなことをやっている人はイキイキしていてよいなと思う。私もそういうイキイキした人でいたいな、と。


こばやしゆうのつくる暮らし。

こばやしゆうのつくる暮らし。