現実は片目をつぶって見るくらいがちょうどいい

どもども。こもこです。はてなブログをはじめました。本日3日目でありまする。

1.ボカロが好き

ボカロが好きで、特に初音ミクが好きです。

かわいいから好きというのもあるけれど、ボカロ独特のあの歌い方が好きだったりします。まあこれは好き嫌いは分かれるかもしれないです。好みの問題ですね。

 
 
かみんぐあうとっ(笑)するとわたしはずっとSF畑で10代~20代を過ごしてきました。近未来SFが大好物。ボカロは近未来っぽいにおいがします。だから好きなのかも。
 
 

2.現実は片目をつぶって見るくらいがちょうどいい

こうはっきり書くのは初めてですが、少し現実離れしてるくらいが楽しくていいと思ってます。日常生活における現実は片目をつぶって見るくらいがちょうどいいんじゃないかな。気楽に、肩の力をもっと抜いていていいと思うのです。
完璧な、理想どおりの現実なんてないです。うまくいかないこと、もやもやしてしまうこと、イライラすること、ぐぬぬとなること、オオアリです。有りまくりとまでは書きませんが、納得いかないこと、しっくりこないこと、イミフなこと、世の中いっぱい。諸手を挙げて二酸化炭素を吐き出しちゃうことしばしば。
 
 
秩序があるように見えて、ないのが現実の世の中なのがしれません。あるいは自分が勝手に秩序があるように思っているだけで、他の人から見たら秩序などないように見えていたり。
 
 
聞くもの見るものでなんでも判断してしまいがちですが、その判断はあくまでその人の判断。他の人はそうは判断しない可能性大です。
 
 

3.解放することで「よし」とする

自分の判断を否定されることもあります。自分のやったことを理解してもらえないこともあるわけで、昔の自分だったら、どうしてわかってくれないの?とこぶしを握りしめていたでしょうが、今の自分はそんなことはしなにです。
 
 
握りしめるよりは解放することで、それで「よし」とするから。
こうして好きなように書いて解放して、で、それで「よし」とします。
読みたい人は読むだろうし、読んで理解してくれる人は理解してくれるだろうし、たとえ理解されなくても、わたしはわたし。なにも変わらない。
 
 

4.書くことで存在証明

本家の話になりますが、5年以上ブログを続けていると、その間に読む人もだいぶ入れ替わっていると思います。
それが普通で、離れていく人を引きとめることはできないし、書く側は書くしかない。書くことでココにイルコトを証明するしかない。
いきなり書かなくなったら、予告なしに更新が完全に止まったら、わたしはもうこの世にはいないのかもしれません。
本人はこの世にもういないのに、これまで書いたものは宇宙に漂う隕石のように存在する。何らかの理由がない限り消えない。長く長くネット上にとどまり続ける。ああ、それってすごいな。SFチックだな、と。これがブログが好きな理由かもしれません。
 
 

5.この世界は一時の仮住まい

誰かに記憶の片隅にわたしの名前や書いたもののフレーズがあるとするなら、それはしあわせなことです。物より思い出。物より記憶。ベタといえばベタですが、この世界は一時の仮住まいみたいなそんな感じがあるからかもしれません。ずっとこの世界に住み続けることはできない。
住み続けることはできないけれど、今はまだ住んでいるのだから、その住んでいる間はやりたいことやって、自分を満足させて、この一時の仮住まいを楽しいものにしたいな、と。
 
 
そのやりたいことが書くこと、表現することで、これは誰にも邪魔されたくないです。ここで自由に書かせて欲しい。誰かを故意に傷つけるようなことは書かないから、それ以外のことを好きに書かせてほしい。解放することで、次へ進むことができる。
 
 
現実を見る時は片目を閉じて。
宇宙に放つ隕石に心をこめて。
理解してもらえようともらえまいとわたしはわたし。
「一時の仮住まいをどう過ごすか」考えるのが楽しくてしょうがないわたしだったりします。
 
 
長くなってしまったので、今日はこのへんで。