痛み、弱音、休めないということ

ここのところずっと痛みが続いていて、日常の動作にも支障をきたしているのだけれど、それでも休むことができず、なんとかだましだまし日常を送っている。


痛みがひどくなり始めたのはGWの前半。病院はどこも休み。今日は平日で開いている病院もあり、やっと病院へ。


体調が悪かったり、どこか痛かったりするとそれだけで気弱になる。元気になればまたいつもの自分になるのだろうけれど、今はそれが遠い先のような気がして、こうなってしまったのは自分の不注意だ、と自分で自分を責めている。


弱音を吐きそうになるけれど、吐いてはいけない気がしている。そもそも弱音を吐きたくなる原因は痛みからくるものだから、痛みさえおさまれば、弱音など霧散してしまうような気もする。そういえば、ここのところずっと―1年以上―弱音を吐いていない気がする。これは良いことなのだろうか。自分の中に澱(おり)のように溜めているだけなのではないだろうか。


休めないというのもつらい。痛いけれど体が動かないわけではないので、動くしかない。特に急がないことは先延ばしにして、最低限やらなければいけないことだけやる。なんとか。なんとか。


痛み、弱音、休めないというのはつらい。けれど、たまにはこういうこともあるわけで、とりあえずゆっくり最低限のことをやればいい。そう言い聞かせている自分がいる。


休めるときに休むこと。弱気なのは痛みのせい。薬がそのうち効いてくる。だから大丈夫。途中でやめたりせず、きれいに治るまでがんばろう。


というわけで、今日はこのへんで。