世界の曖昧さを愛する

本はかなり読んでいるほうだと思うけれど、読んで考えたことなどあまりアウトプットしていないくて、それってどうなのかな、と。


たくさん本は読むけれど、果たしてどれくらい役に立っているんだろうか。
本を読むことでどれくらいプラスになっているんだろうか。


わたしの場合、インプットは好きだけれど、アウトプットは苦手かも。
そう思いはじめているわけで。


まあ、これまでちょこちょこブログに書いてきたけれど、これといって何かに特化して書き続けてきたわけでもなく、なんとも曖昧な感じで、その曖昧さを良しとするか、いやもっと専門的だったり特色のあるものじゃないとブログの魅力としては成立しないでしょ?とも思ったり。ただ書きたいことを書いているだけでいいのかな、と。


昔から「世界の曖昧さを愛する」という言葉が好きで、白黒はっきりつけるよりもグレーゾーンを容認するほうが楽なんじゃないかとわたし的には思うわけで、なんというか、きっちりカテゴライズするのが好きじゃないというのもあるのかもしれない。


カテゴライズして、きっちりラベルを貼るのはスッキリして気持ちよいだろうけれど、人間関係をはじめ、人の気持ち、感情というのは、そう簡単にカテゴライズできるものではなく、どうしても曖昧な、なんとも言えないものもあるものだと思う。


だから、このまま曖昧なままでいるのが自分らしくて、なんとなくつかみどころがないまま、このブログも続いていくんだろうな、と。ただ書きたいことを書いて、それは個人のブログだからそれでもOKで、これからもゆるゆると自分のペースで書いて、たぶん5年10年と続いていくんだろうな、と。(あ、もう5年は過ぎたか。今見たらブログ開始から5年半経ってた。


あれですね、なんかもやもやしてスッキリしないときは「世界の曖昧さを愛する」「世界の曖昧さを愛する」「世界の曖昧さを愛する」って心の中で唱えると落ち着くのですが、これはもしかしたらわたしだけかも?曖昧と混沌はまたちょっと意味がちがって、わたしが好きなのは曖昧さのほう。曖昧LOVER。


というわけで、またねです。