ぼーっとすることに罪悪感を感じるほどの自己啓発中毒

ふと、ある人を思い出すことがありました。ぼやかして書きますが、その人は大学を卒業して十年以上経っているのに、今もその卒業した大学をコンプレックスに持っているらしく、心の声はこう呟くのでしょう。「本当ならもっと偏差値の良い大学に行けたはずなのに」と。卒業した大学のことを聞かれたくないし、自分から大学名を言うこともないと聞いたことがあります。
その人は今はちゃんとした会社に勤めていて、それでも大学コンプレックスが消えない。会社には行きたかった大学の卒業生がいてコンプレックスを刺激され、何より大学を受け直さなかった自分を苦々しく思ってしまうらしく・・・。
うーん。わたしから見ると今ちゃんとした会社に勤めているのだからいいんじゃないかとそう思うのです。人によっては学歴にこだわる人はこだわるだろうし、もしかしたら勤めている会社で出身大学による派閥(差別)があるのかもしれませんし、「うーむ」と学歴、出身大学の呪縛について考えてしまうわけで・・・。


思うに、その人は元々頭がよく、再チャレンジすればもっと偏差値の高い大学に行けたのかもしれないし、そもそも今の会社の就職試験をクリアできたのも頭が良くて、努力家だったから。そう、努力家なのですよね。自己啓発が好きで、自分磨きを怠らない。資格取得にも意欲的。もしかしたら、希望の大学に行くことができなかったその悔しさが自己啓発、自分磨きにその人を駆り立てているのかもしれないと思ったり。


わたし自身がそうなのですが、どうにも自分を肯定できなくて、自信がどうしても持てなくて、自己啓発や自分磨きにハマってしまうというのはあるなぁと。自己啓発も自分磨きも、それ自体悪いことではないのですが、なんというか、ゴールがないのですよね。もっともっと!と自分を叱咤してしまう。こんな英語力じゃだめだ。こんなプレゼンじゃみっともない。土日の研修やセミナー、勉強会もどんどん参加して、もっと周りが認めてくれるようなそういう人にならないと・・・。


今の現状に満足してしまって、何もしなくなるというのもどうかと思いますが、過度の自己啓発、自分磨きに走ってしまうのもどうかな、と。ぼーっとするヒマがあるなら本を読んだり、英語のリスニングをしたり、資格試験の勉強をしたり、仕事の資料整理をしたり、何かやってないと時間がもったいない気がして、遊んだりぼーっとすることに罪悪感すら感じてしまう。これは一種の自己啓発中毒・自分磨きフリークになってしまっているんじゃないかと。そのうち燃え尽きてしまうことも可能性としては否定できないなぁと。


自己啓発、自分磨きの結果、自分どれくらい成長できたか、どれくらいなりたい自分になれたか、正直にいってわたしの場合実感がなくて、そもそもゴールを設定していないから(漠然としすぎていて)達成感もないのではないかと。いっそTOEIC720点とか800点とか具体的な数字を目標にすれば、そのほうが楽なのかな、と。


コンプレックスや自信不足から自己啓発、自分磨きに邁進。時に遊ぶこと、息抜きをすることに罪悪感を感じるほどに・・・。書きながら、そこまでいっちゃうとヤバイんじゃないかと思い始めました。というか苦しいですね。自己啓発、自分磨きに励む自分に酔っているようにも思えます。かといって今更やめられないというのが本音でもあり、誰かに迷惑をかけているわけではないのだから、好きなだけ満足するまでやり続けるというのも有りかな、と。結果にこだわるではなく過程重視で。
自己啓発はしてもいいけれど、燃え尽きてしまうことだけは回避。燃え尽きて「どれだけやったって無駄だ」という無気力モードになってしまうのは避けたいかな。頑張りすぎた反動で今度は逆に何もしたくなくなるというのは、まぁよくあることだと思うので。頑張っている自分を自分で認めてあげる。褒めてあげる。それが大事なんじゃないかと。