知っていることが増え、判断が変わる、考え方が変わる、そんな瞬間

知らなかったことを知るのは本当に刺激があって面白い。増えた知識は確実に自分の見方を変える。「簡単に変わりすぎ」と言われそうだけれど、変わってしまうのだから仕方ない。世界の流れを知ると、正確には世界の流れの一部を知って思ってしまった。「日本はこのままじゃヤバイんじゃないか?」「安穏と鳥籠の中から外を眺めていて、それでいいんだろうか」と。


皆自分で見たいように世界を見る。興味がないものは見ない。既に知っていることだけで判断してしまいがちだ。否、既に知っていることで判断するしかない。知らなかったことを知り、知っていることが増え、判断が変わる、考え方が変わる、そんな瞬間が今日あったと思う。


今の自分が知っていることだけで判断したとして、それが最適な判断だとは限らないのだということ。知っていることを増やすことは自分の手札を増やすこと、判断力を強化することにつながるのではないかと。


知らないこと、無知は自慢にならない。


ことさら知ってることをひけらかす必要はないけれど、今知ってることで満足してそれ以上求めなくなってしまうと、おそらく自分の成長は止まる。
止まった時点で始まるのは衰えだと思う。日々衰え、気がつけばどんどん若い人に追い抜かれ、空虚感と無力感、不安感といったものに苛まれ、愚痴ばかり言う人間になってしまいそうで、こわい。「あの頃自分は一体何やってたんだろう?」と後悔してしまいそうな気がして、それは避けたいことだ。


頭の回転が速い人というのは本当にいる。話し方、語彙力からしてちがう。先のことを考え、行動していくことが当たり前で、おそらくそうしていないと「遅れた使えない人」と評価されてしまうのだろう。そういう世界があるのは確かで、走り続けることを余儀なくされて、かつそれが楽しくてしょうがないという人もいるのだ。そういう人と張り合う必要はないけれど、自分のペースで何かしていくこと、続けていくこと、それが不安を克服するひとつの方法のような気がしてきた。


知っていることを増やし、判断力をつけること。鳥籠の中にいてもできることはあるはず。もしその鳥籠が取り壊されたとき、鳥籠から出なければならなくなったとき、自分の身を守れるのはやはり自分で、家族がいれば家族も守らなければならない。


知っていることが増え、判断が変わる、考え方が変わる、そんな瞬間をもっともっと増やしたいと思う。悩むこと迷うこと葛藤することをプラスに考えようと思う。そうすることで変われるかもしれないのだから。