ブログが飽きられる怖さ

とある研修会の休憩中、数人で雑談していると、ある講師のことが話題になりました。その講師の方をわたしはよく知らないのですが、あちこちで講演やセミナーをされているそうで、印象に残る話をされるそうなのですが、「いいんだけど、一度話を聞いたら、もう二度は聞かなくていいかなって感じ」なのだそうです。別の方いわく「たまたま二回聞く機会があったけど、話はまったくいっしょではなかった気がする。でも、話のパターンが同じで、その先生(話題になった講師のこと)らしいなぁとは思うけど、やっぱり飽きるね」とのこと。


「あー、そうかー。飽きるというのはあるかー」と。わたしは自分のブログに置き換えて考えてみたわけで、「自分らしく自分のカラーで文章を書く。書き続ける。」と書いたものの、同じ人が書いたものっていつか飽きられるだろうなぁと。まぁちょっとずつ変わっているかもしれないけれど、大元の部分は変わらない。その人のカラーがよほど好きであれば別だけれど、読者というのは少しずつ入れ替わっているだろうなぁと。


忘れ去られるのは寂しい。みたいなことをどこかで書いた気がしますが、ああ、書いていますね。

「ネットが遠くなり、つながりが少なくなっていく―さびしいのは、忘れ去られてしまうこと」
http://d.hatena.ne.jp/komoko-i/20120119/p1
かみんぐあうとっ

忘れ去られるということ、それが一番寂しいこと


「生きるということは、自分の場所をつくっていくということ。自分の場所を見つけていくということ。」
http://d.hatena.ne.jp/komoko-i/20110818/p1
かみんぐあうとっ


自分のカラーを全面に押し出しキープすることで他のブログとの差別化も図れるわけですが、キープすることでマンネリ化するというのはあるかな、と。マンネリ化して飽きられてしまう。その可能性はあります。一度飽きられるとまず再び読まれることはないんじゃないかと思います。それはそれで書き手はどうしようもないわけですが、飽きられてもそれでもなお自分のスタンスは変えられないというのが本音でしょうか。わたしで言えば、結婚や恋愛、子育て、家族について書けば新たな読者が増えそうですが、今のところそれらについて書くつもりはなく、スタンスを変える予定もありません。(昨年出した電子書籍30分でわかるゆるゆると前向きになる15のヒント」には少し書いていますが)


ブログが飽きられる怖さ、あります。飽きられたとしても、それはそれでしょうがない。自分のキャラじゃないことを書いても疲れるだけで、長続きしないんじゃないかと思います。まぁ芸人さんも同じでしょうか。いつも同じ芸ばかりではいつか飽きられる。いつかは飽きられることを想定して、次の手を打つしかないのではないかと。


ブロガーが書くことで成立するブログなので、とにかく書くしかないというのは言えます。書かずに更新がとまって、忘れ去られてしまうことのほうが悲しいかもしれません。「あー、あの人すっかり書くのやめちゃったよねー」と言われたり。


もしかしたら、自分のカラーをより強くより魅力的なものにしていくことで飽きられるまでの時間を長くするのは可能かも?とちょっと思いましたが、まだ具体的に言葉にするまでには至っていません。これから少しずつ考えてみることにします。