突き抜けるということ

自分のスタンスや自分の世界を持っている人が好きで、それは以前から変わっていない。
興味・関心があるのは、そういう自分のスタンスや世界をはっきり表に出している人。世の中いろんな人がいて、自分など平凡で普通だなぁと思ってしまう。でも、それはそれで気楽だからいいと思うのがわたしで、気楽にこうして好きなことを書いているのが楽しくていい。


ブログやTwitterには中毒性があると思う。廃人と言われるレベルの人もいるけれど、それはそれでスゴイと思う。なかなかそこまで到達できないのがほとんどの人だと思うから。突き抜けるというのはなんにせよスゴイことだ。


まぁ突き抜けなくてもいいから、自分のスタンスに忠実に自分の人生を生きるのがいい。その生き方をどうこう言う人笑う人いるかもしれないけれど、気にしなくていいんじゃないかと。もちろん誰かに迷惑をかけるようなそういう生き方は良くないけれど。


有名人や著名人で自分のスタンスがはっきりしている人でも意外と悩んでいることを最近知って、ああやはり同じ人間なんだなと。悩んでいることを隠すのではなく素直に吐露してしまうところが人間らしくてよいなと。


突き抜けたとしても、一度はTOPに立ったとしても、それはいつまでも続かない。いつかTOPから落ちる日がくる。変化のない世界というのはない。さまざまなものが日々変化していることを頭の片隅に置いておきたい。


また、ブレイクというのは、そうしょっちゅう起こるものではない。大きな波に乗って、その頂点から海面に叩きつけられ、深い海底に潜らされることもある。自分の意志とは関係なしに。わたしの場合、その波のアップダウンがイヤで水面にぷかぷか浮かんでいるほうが楽でいいと思ってしまうのだけれど、まぁそれでいいのかと思ったりもする。現状で満足しているわけではなく、密かに立てた目標もあって、でもまぁそこに辿りつくまではまだまだ遠いなぁと。


なにかに関して突き抜けようとすると、それに対する代償もやはりあるのではないかと思う。ものすごく長い時間が代償となったり、他の人が抱えることがないようなレベルのストレスを抱えることになったり。突き抜けることによって得るものがあれば失うものもある。たとえ失うものがあったとしても、高みを目指す代償を恐れないチャレンジャーに憧れる。自分にはそういうのは無理だとわかっているからかもしれない。自分を制限するわけではないけれど、自分の実力がわかっているので、できることをコツコツとやっていくしかない。コツコツとがんばっている自分を褒めながら、時になぐさめながら。