NGワード、人のウィークポイントについて考えてみた

人によってNGワードってあったりしますね。そのことについて考えてみたので、ちょっと書いてみます。


たまになのですが、誰かのNGワードと知らずにさらっと言ったり書いたりしてしまって、「えっ、まずかった?!」ってなることあります。そういう経験ありませんか?


その人にとってNGワードと知らずに言ったり書いたりしてるので、悪意はないのですけれど、突然怒りのコメントがきて驚いたことあります。


その人個人のことを指して言ったわけではないのだけれど、その人は自分のことを言われたと思い、カチンときた、という感じなんだと思います。


NGワードというのは、言い換えるとその人のウィークポイントなんだと思います。誰かに言われたくない言葉。言われるとムカつく言葉。それは自分でも気にしていて、自分のウィークポイントであり、過剰に反応してしまう類のもので、わたしが思うにそういったウィークポイントというのは誰でも多かれ少なかれあるものなんだと思います。わたしも含めて。


普段はそのウィークポイントをかばいつつ、隠しつつ生活しているわけですが、ふとしたことで、そのことを誰かにズバっと指摘されてテンパってしまう。テンパったり、防御体制から一気に攻撃体制になったり。


わたし個人としては、ウィークポイントとわかっててそれを言葉(言刃)で突くようなことをするのは大人げなくて、好きじゃないです。ウィークポイントはあえて口にしない、そういう配慮やデリカシーも大人なら必要なのではないかと。


ウィークポイントを突かれた側は不快だし慌ててしまいがちですが、そこは悠然と構えるのほうが大人かな、と。器が大きいと評価できるというか。


NGワードNGワードでなくなればよいのですが、昔の失敗などなかなか消えない場合もあり、そういったものを抱えつつもそのことのみに囚われないで、自分の道をいくのがいいのかな、と。


昔の失敗や傷が全くないという人はまずいないと思います。ふと思い出して苦しくなることがあったり。時間が薬となり、少しずつ楽にしてくれるというのはあります。つらいけれど、時間が経つのを待つしかないこともあり、そういうときは、静かに俯瞰するのがいいのかな、と。思うことを自分だけのノートに書けるだけ書いたり。


NGワード、ウィークポイント。
こういうところは自分は弱い。ダメだということ。そういうことに面と向き合いすぎると、精神的につらくなるので、ほどほどにわかっているだけでいいとわたしは思います。自分にも弱い部分があり、他の人にもまたちがった弱い部分があります。


繰り返しになりますが、NGワード、ウィークポイントそのことのみに囚われないで、他の自分ができることをやる。自分のどうしようもない部分を認めつつ、他のことでがんばる。そんな感じでいきたいな、と。もし余力があればその時はウィークポイントを克服できるよう、改善できるようがんばるという感じで。


長くなってしまったので今日はこのへんで。