「すべての人を満足させる」というのは難しい。「相手の身になって相手の気持ちを考える」というのも難しい。

少し前あるセミナーに参加したのだけれど、講師の話がつまらなくて退屈という声が休憩時間に漏れ聞こえてきて、「この手の話は××で聞いたことがあるし、わざわざあらためて聞く必要ない」というようなことを言っている人がいた。「ああ、確かに聞いたことがある話だったら退屈だろうな」と。わたしもなんとなく探せば本に書いてありそうなことをこの講師の人は言っているなぁというのは感じていた。


そして、講師が言っていることは確かに正しくて間違っていないのだけれど、聞いた人みんながそういう風に実践できるかというと、うーん、難しいんじゃないかな、と。かなり時間をかけて専門的に勉強し経験を積み、そうして今の講師がそこにいるわけで、講師から「まずは相手の話を聞いてから」「相手の話を受け止めて」「相手の身になって相手の気持ちを考えて」といった感じでコミュニケーションのコツを言われても、なかなかそうはできないのが現実のように思う。特に「相手の身になって相手の気持ちを考えて」と言われても「いやぁそれってすごく難しいです」と言いたくなってしまう。自分とは違う人の気持ちを「考えることはできる」けれど、「相手の気持ちがわたしが考えたとおりだ」という保証はどこにもない。わたしのものさし、わたしの視点で考えているので、微妙に違うと思う。もしかしたら全然違っているかもしれない。
わたしなど自分の気持ちですらはっきりこうだ、と言えないことが多いのに、他の人の気持ちを察するというのはかなり難易度が高い。なんとなく、ある程度なら察せるかもしれない。そう、ある程度、なんとなくなら。また、気持ちを言葉に出さない、表情や態度に出さない人も意外に多いように思う。そして思う。察したあとどうしたらいいのかな、と。相手の気持ちを察すればそれで相手との関係は良好なものになるのだろうか。相手の気持ちはわかるけれど、でも受け入れられない。支持できない。そういうケースもあるのではないだろうか。


人それぞれ考え方もちがえば立場や周りの状況もちがうわけで、ケースバイケースの対処法が必要で、相手との関係を良好なものにするために、単純に「こうすればいい」という答えはないように思う。



講師の話がつまらなくて退屈と言っていた人とは別の人で、セミナーの内容に関して「思っていたのと内容がちがった」と言っていた人もいて、セミナーのタイトルと話の内容が微妙にズレている、というようなことも言っていた。わたし自身それほどセミナーのタイトルは気にしていなかったのだけれど、タイトルから期待するものは人それぞれちがって、自分が期待したものとちがうとがっかりしてしまうというのはあるだろうな、と。


わたしがセミナーを聞きながら期待したのは、先ほど書いた「ケースバイケースの対処法」で、具体的な事例をもっと挙げてほしかったなあ、と。守秘義務などの関係で、すべてを話すことはできないかもしれないけれど、セミナーに参加した人は何か自分にとって役立つものをひとつでもふたつでも持って帰りたいと思っているはずで、そのひとつでもふたつでも得るものがあれば、満足して帰れるのではないだろうか。


時間が余りそうなのがわかりはじめたところで、繰り返しさっきも言ったことをまた言っているという場面も見受けられ、これは見苦しいな、と思ったわけで、これは他山の石にしたい。(時間が足らずに最後が駆け足になったり、はしょられるのもイヤだけれど)時間が余った場合に話すトピックは準備しておいたほうがよいな、と。質問の時間にひとつの質問にだけ長々と答えて、そして時間がきてお開きになってしまったのもどうかな、と。会場には他にも質問をしたいと思った人がいたのではないだろうか。


まぁ当たり前といえば当たり前なのだけれど、「すべての人を満足させる」というのは難しいことだな、と。ブログもそうなのだけれど。
「相手の身になって相手の気持ちを考える」というのも難しい。とはいえ、相手のことをまったく考えずに良好な人間関係が保てるかというと、それはないと思う。相手の気持ちを無視していろいろと進めたところでうまくいくはずがない。相手には相手の気持ちがある。不器用でうまく気持ちを表に出せない人もいる。気持ちをうまく表に出せないけれど、だからといって勝手に推測され決めつけられるのもイヤなもので、いやはや、なかなか難しい。


長くなってしまったので今日はこのへんで。