結果を求めるということ

「成功って何だろう?」と考えることがある。
成功とは「結果を出すこと」なのかな、と今の私は思っている。目に見える結果。誰もが見てわかる結果があってはじめて「成功した」と胸を張って言えるのかもしれない。


「こんなことをしたら、こんな感じになりました(成功しました)」という成功談をよく聞く。
「こんなこと」「こんな感じ」は人によって違う。他の人が同じようなことをやっても成功するとは限らないのに、それでも人は聞きたがる。成功した秘訣を聞いて真似すれば、自分も成功するかもしれないと思うのだろう。


真似することで成功に近づくことは可能かもしれない。しかしながら、その人がその時置かれている環境やその人自身の能力、実力、運といったものは、人それぞれ違う。ひたすら真似したとして、果たしてそれで「成功した」と言えるところまで行けるだろうか。


成功談の裏には表に出てこない失敗やドロドロした策略があったりする。影で泣いている人や煮え湯を飲まされた人もいるかもしれない。


Win-Winで結果を出せたら、それが一番良いのかもしれないけれど、そういうケースばかりではないのが現実だろう。


会社において求められるのは結果(実積)で、結果(実積)がなければ誰も評価してくれない。試験もしかり。合格、あるいは○点(TOEIC800点など)といった結果があって、はじめて評価される。


その評価にこだわるあまりに苦しくなることがある。とにかく結果(実積)がほしい。自分の実積、自分の評価。そういったものがない自分はまるでダメな人間のように思えてしまう。


結果を求めている自分。
納得する結果、満足する結果がほしい。
これは「欲」なのかもしれないけれど、もしこの「欲」がなくなったら、私は何もしなくなるだろう。これから先、ある程度結果を出して満足すれば、考え方は変わるかもしれない。今は結果を出していないので、満足するわけにはいかない。「まだまだだなあ」という思いが、私を前に向かせているのだと思う。