読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

本の文章、ネットの文章

考えたこと

毎日晩ごはんのあとは読書タイムにしている。
本を読んで目からウロコが落ちたような、そんなことがあった。ポロリ。ウロコが落ちて、視界がクリアに。これまで私にはなかった考え方に衝撃を受けた。ああ、そういう考え方もあるのか!と。


筆者の考え方を伝える文章の奥深さ。練りに練られた破綻のない文章は、私を虜にした。
「心に深く残る文章」とは考えに考え、言葉を尽くして書かれた文章なのかもしれない。


一方でネットで目にする文章はというと、軽快でスピード感はあるけれど、考えに考え抜かれて書かれ文章は少ないのではないか。(特にTwitter、FBなど)
軽い文章も良い。軽く読めて暇つぶしになる。さらっと流せる。さらっと流れていく。ほとんどの文章はひとつひとつの意味を深く考えたりもしないし、よってそれほど頭には残らない。心にも響かない。
中には音叉をたたいた時のように響くものもあるかもしれないが、それはたまたまその時の自分にぴったり合ったものが心の琴線に触れた、そういうことだろう。それはそれで喜び、大切にすればいい。



もっとも心の井戸に重い漬け物ばかりを、どぼんどぼんと連続で投げ入れられるのも、心理的にヘビーで難儀だ。ヘビーなものを受け止める余裕がないときだってある。ヘビーなもの、例えば思い詰めた心境の告白、行き場のない怒り、呪詛とも取れる愚痴など。そういった重いものは本当に苦手だ。受け止めきれない。また受け止めたところで私にはどうしようもない。自分の感情は、自分でどうにかするしかない。感情を表に出すのは別に良い。しかしながら「どうにかしてくれ」とカウンセラーでも何でもない人にお願いするのは、いかがなものか。


本の文章、ネットの文章、どちらにも長所短所はある。いきおいで書いたほうが面白い文章が書けるというのはあるが、本は活字にしてしまったら安易に書き直せないがゆえに書くのに緊張する。これは経験済みだ(電子書籍を出したとき↓ )

30分でわかる ゆるゆると前向きになるための15のヒント

逆にネットはよく考えずに書いて公開して、それで炎上ということもある。個人ブログの場合、本とちがい編集者もいないので、文章が暴走することもある。それはそれで、面白い、ネットならではだ、と思うけれど、あとあとまで残ること、不特定多数の人が読むことを考慮すると、やはりある程度慎重に書いたものを残すほうがベターかもしれない。


ネットに公開した文章は、公開している間、誤りを指摘されたり、批判されたり、注意されたりする。必要に応じて書き直し、正さなければいけないわけだが、指摘されたり批判されるたびに傷つく必要はないと思う。特に個人のブログの場合、「書きたいから書く」というのが根底にある。文章は自分の考えや思いを表現するため、とどのつまり自分のために書いている。わたしが書いたものに興味があったり、他の人にとってなんらかの参考になるようなものがあるかもしれないから、公開する。興味もないし、参考になるようなものもなさそうならスルーすればいい。それが個人のブログだ。



本の文章に刺激をうけ、ネットで文章を書く。それが今のわたしがのスタイルかもしれない。