ブログを書くということ

この記事を書いたあと「簡潔過ぎても伝わらないこともある」ということをフォロワーさんから言われて、確かにそれはあるなあと。


つい何度も同じこと似たようなことを言う傾向にあって、その原因としては
・伝わらない不安感
・伝わった感触が自分にないこと
があげられるかと。


こうしてブログを書いていて多くの人に読まれているという実感はあまりないです。(「多くの人」がどれくらいの人をさすのか、百人なのか千人なのか一万人なのかあるいはそれ以上なのか、それは人によってちがうかと思いますが)


読まれている実感があまりないのは反応(レスポンス)があまりないというのも理由としてあげられますし、そもそも私はそういう反応に鈍いタイプかもしれません。エゴサーチもしませんし、言及されていても気がつかないこと多いです。まあそれならそれでいいかな、と。趣味でやっている個人のブログですし、反応があまりないほうが気楽で、反応があったとしてもそれを全部把握しようとすると相当疲れますし、エゴサーチして一喜一憂するのも好きじゃないです。多少鈍いくらいがブログを長く続けられるポイントなのかもしれないです。


むしろ、一個人のブログが何千人何万人の人に読まれることのほうが怖い気がします。何千、何万という人に読まれた場合、必ずといっていいほど攻撃する人が現れて、何らかのダメージを受けているように思います。
多くの人に読まれるのは嬉しいけれど、誰もが肯定的なスタンスで読んでくれるわけではなく、否定してくるスタンスの人も出てくる。否定されても、あるいは批判されてもそれでも自分の書いたものを掲げ続けられるか。どう言われても飄々としていられるか。そこはよく考えるところです。


書く人はひとりで、読む人は複数1対複数が対峙するイメージがブログにあって、いつも穏やかな対峙関係であればいいけれど、緊張した対峙関係になることも時としてあるので、ブログを書く際には覚悟しておいたほうがいいのかなと。


ブログを書くということは、さまざまな人が見る可能性がある舞台に立つのと同じことだと私は思っています。自分の親や兄弟が見る可能性もありますし、自分の職場の上司や同僚が見る可能性もあるわけで、ハンドルネームを使っていたとしても本人特定される場合もありますし、薄々わかっていて黙っている場合もあるでしょう。


で、最初の簡潔すぎて伝わらないことに話を戻しますが、冗長より簡潔なほうがわたしは良いと思いますし、簡潔でも表現が的確であれば伝わるべきことは伝わるのではないかと。むしろ、簡潔で少し物足りないくらいのほうが、余白があって、息苦しくない。多弁は相手をうんざりさせ、聞く気持ちを失わせる。それはあるかと。(ブログでもその点は気をつけないといけないのですが・・・)


相手と自分は別の人間。その人にはその人の考え方、見方がある。言葉で表現しなければ伝わらないけれど、どう伝わるかは表現者は選べない。伝えたいことが素直に伝わることを祈りつつ書いていくしかないなぁと思いながら今日はこのへんで。