わからなかったものがわかる瞬間

久しぶりに好きなアーティストの曲を聞いた。
言葉の、フレーズのひとつひとつが心にしみる。ものすごくわかる。
自分よりだいぶ年上のアーティストの作品だ。
以前はこの作品の良さが本当にわからなかった。わからないまま放置していた。


わからないものをわからないまま放置していることが、私にはよくある。
「曖昧なものを好む」というよくわからないところが私にはある。


そして、そのわからなかったものがわかった瞬間、「ああ、こういうことを伝えたかったんだな」ということがずしりと胸に降りてきた。
もしかしたら、本当は違うのかもしれない。でもアーティストの作品の解釈は人それぞれ違うものだ。私なりの解釈が納得がいく形で、今この手のひらの上にある。それが嬉しい。


自分なりにわかって、溜飲が下がったのだけれど、これが勘違いや錯覚でないことを祈る気持ちもある。仮に錯覚だとしても、できればこのまま覚めないでほしい。この「わかった」という心地良さを失いたくない。


「年をとることでわかること」があるのだということ。いや、経験だろう。
「経験することでわかること」それはある。


やるせなさや複雑なしがらみ、失敗の数々、何を求め、何を欲しがっていたか。


今だからわかることがある。
当時はわからなかった。
わかった今、この今もまた途中なのだと思う。
まだまだ途中。
すべてがわかる日なんて来ない。
わからないことがある。
だから面白い。
わかった瞬間の快感は、青空だ。雲ひとつない青空。


わからなかったものがわかる瞬間がこれからもあると思う。それが楽しみだ。