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ぶれないなんてつまらない。でも10の賛同や共感よりも1の非難、批判のほうが勝つ。

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素直に生きる100の講義

素直に生きる100の講義

「ぶれない」なんて嬉しくもない。

と前書きにあって、「えっ?」と思ってしまった。森博嗣先生にとってぶれることはうれしいことなんだろうか。

できたら、以前とはまったく正反対の主張なり見解なりを書きたいところだが、そんな劇的な変化は、人間にはあまりないようだ。「ぶれない」なんて嬉しくもない。どちらかといえば、大いに「ぶれたい」のだが、残念ながら能力不足で、なかなかぶれられないのが現実ではないだろうか。
素直に生きる100の講義』より


うーん。確かに一理ある。能力不足というか思考の限界というか、オーソドックスなことしか書けない私は簡単に言えば「凡人」なのだと思う。奇抜な考えが好きではないというのもある。無難なものが好きで、冒険よりも安全。昔から慎重なほうだったけれど、最近はさらに拍車をかけて慎重になっている。


自分の軸にこだわり、ぶれたくないと思う。「ぶれている自分は自分ではない」とでも言うかのように。
自分の考え方がかたくなってきているようにも思う。
頑固にはなりたくない。いつも柔軟でいたいと思いつつ、譲れないことが増えすぎているようにも思う。自分で自分をがんじがらめにしている。狭い視野で満足して、見えているものだけで判断して、他眼的な思考ができない。ぶれないということは、一眼的な思考だからなのかもしれない。時にぶれることがあってもいいのではないか。ぶれないということは、ワンパターンだということ。変わらないということ。


それはとてもつまらないことのように思う。


決定したことをクルクルと覆すようなことは困るし迷惑だけれど、時にぶれることがあったほうが、他眼的で変化があって面白い。


わたしに大きな変化がないのは、思考が固まっているからだろう。丸くおさめることばかり考えている。過去、叩かれ傷ついた記憶が無意識に防御体勢を取らせているようにも思う。もうあんな痛い思いはしたくない。隙を作るまい、足をすくわれまいと必死になっている。それはブログに如実に現れている。


10の賛同や共感よりも1の非難、批判のほうが勝つ。


ぶれて、これまでと違うことを書くことで引き起こすことが予想できない。予想できないというのは不安だ。
だから、ぶれるのが怖い。ぶれられない。
ワンパターンでつまらなくても、痛い思いをするよりはいい。そんな感じで、1の非難、批判を怖がっている自分をどうにかしたい。