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外海で力を発揮できる人、できない人

私が今いるのは、内海だと思う。
ぬるま湯に浸かっているとも言える。
ぬるま湯に浸かっているので、
「ハングリーさがない」と言われれば、確かにそうかもしれない。
ものすごく好きなこともなければ、
ものすごく嫌いなこともない。
私は白黒つけたがらないところがある。
「曖昧さを愛する」とさえ言ってしまうその感覚は、まさしくぬるま湯に浸かり続けた結果なのではないかと。


ぬるま湯に浸かっていることはよくないことなのだろうか?


「顔つきが変わるほど、苦労しないほうがいい。あまりにも悲惨な体験は人間を信じられなくする。できればそういう経験はしないほうがいい。
人を傷つけて平気な人には近づかないこと。人を傷つける人は言葉巧みで、魅力的であったりすることが多いのだけれど、言葉や魅力に惑わされてはいけない。傷つけられた側は後々まで傷を残すことになる。傷つけられることや口撃に対して我慢しすぎて精神が歪むこともある。歪んでしまって自分の手でどうしようもなくなったからでは遅い。」
そんなことをある占い師の人から言われたことがある。その言葉は若かった自分に深く植えつけられた。

そしてこんなことも言われた。
「貴女は守られた世界で、安心という基盤があって、それで力を発揮できる人」だと。
「無理に外海に出ないほうがいい。虐められて、本来の力を発揮できなくなる。貴女は外海では潰されてしまう」


一方、外海のほうが自由に思い切り力を発揮できる人もいると思う。日本を出て海外で活躍したり成功したり、世界中を飛び回る人も。そんな人は狭い世界では力を持て余し、窒息状態になってしまうのかもしれない。


私の場合、外海ではなく内海のほうが合っているのだろう。無理に外海に出ても、すぐに溺れて死んでしまうかもしれない。



「狭い世界で満足?」
「ぬるま湯で満足?」
と言う人もいるかもしれない。
けれど、内海やぬるま湯でしか生きられないのだから、仕方ない。
個性に物凄くインパクトがあるわけでもなく、最上志向があるわけでもなく、「無難に」「ソツなく」「バランスよく」を良しとし、「心地良さ重視」なのだから、どうしようもない。


外海で力を発揮できる人を凄いと思う。強みや専門があってそれで生きていける人は良いと思う。しかしながら、誰もが外海で力を発揮できるわけではなく、強みや専門があるわけではない。内海でしか生きられない場合もある。それをどうこう言っても仕方ない。「そういう人もいる」としか言えない。


外海で力を発揮できないのは弱いとか強いとかそういうのではなく、淡水魚は海では生きていない。それと同じかもしれない。


私個人としては無理に外海に出なくても良いと思うし、他者が出ることを強要すべきではないとも思う。内海で力を発揮すればよいと思う。