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努力してもうまくいかない上に嫌われることがあるということ

考えたこと

どんなに頑張っても努力してもうまくいかなくて、さらには嫌われることがあるということ。かなりつらいことだけれど、ずっと思っていたことなので、落ち着いて言葉にしてみようと思う。特定うんぬん個人情報うんぬんを考慮して具体的にではなく抽象的に少しのフェイクも入れて書く。


努力してもうまくいかず、さらには嫌われてしまうのだから、なんともやりきらない気持ちでいっぱいで、ずっとモヤモヤが続いていた。あんなに頑張ったのに…という気持ちが強くて、今思えば必死に自分なりに努力していたけれど、冷静になって考えてみると、その頑張りは相手に伝わっていなかったのだと思う。


まあその時は頑張った。できることはしていたのだから、それでダメになるのなら、それはもう仕方ないんじゃないかと時間が経ってそう思うようになった。


私としては精いっぱい頑張ったけれど、それでも不器用で、相手が期待するような結果を出せなかったのも事実で、まあ他にもいろいろと気に食わなかったこともあったらしく、嫌われたのは事実だと思う。相手も大人なので面とはそういうことは言わないし、少しずつ距離を置いて、そのうちメールの返信もなくなった。壁を作られたと言ってもいいかもしれない。


今では返信がないのは相手の都合だからと諦めている。そして思う。ずっと努力し続けないと続かない関係というのはなかなかしんどいものだと。相手に合わせ努力し頑張り続けることは、悪いことではないけれど、その努力に見合うだけのものがないと、虚しくなるし疲れてくる。凡人なので、努力したら報われることをやっぱり望んでしまう。


関係がうまくいっていないことを薄々感じながらも「これだけがんばっているのだから」と意固地になってやめられないもしばしばあるように思う。その場合、執着し続けている自分、諦めきれないでいる自分を客観視できていないのだと思う。無理をしている関係はいつか破綻する時が来る、認めたくないかもしれないけれど、それはありうることだ。


「努力は必ず報われるとは限らない」こう言い切ってしまうとなんだか悲観的で冷めた人のように思えるけれど、いろいろなことを経験した結果「まあ報われないこともあるんだよね」くらいのことは頭の片隅に置いておきたいと思う。


私に人間的に欠落した部分があるとか思慮が足りないとか、自分を責めたこともあったけれど、それもつらいことで、結局のところ、もう割れてしまった皿を元どおりにすることは不可能で、相手も元どおりにすることを望んでいなくて、「こぼれたミルクを泣いてもムダ」ということになるのだろう。


努力してもうまくいかず嫌われることがあるということ。
相手の気持ちや行動は縛れないしコントロールできない。
自分なりに頑張った。一生懸命やった。たいしたことはできなかったかもしれないけれど、でも頑張った。努力した。
もうこれ以上頑張っても関係を良好なものに転換できないのであれば、努力を打ち切るのも有りだと思う。とても勇気がいることだけれど。


嫌われた理由は複数あると思う。怖くて聞けないし、メールの返信もないので、今更コンタクトも取りづらい。はっきりした決定的な理由を知ったら知ったで落ちこむだろうし、先方もはっきりさせたくないかもしれない。理由ははっきりとはいわないのだけれど、まぁとにかくよく思われていないのはわかる。そこに私の居場所はなく、一言で言えば「縁がなかった」のだと思う。まあ、簡単に「縁がなかった」で片づけてしまえるほど、心の整理はついていなくて、やはりどこかで執着し、諦めきれていないのかもしれない。自分でもまだよくわからない。


でもまあ、今現在やるべきことが山ほどあるので、そちらにエネルギーを注ぐほうが建設的だと思う。時折思い出して泣きたくなることはあるけれど、その回数は少しずつ減っていくとよいなと思う。努力が報われなくて悔しくて、それで泣きたくなるのかもしれないし、まだまだうまくやれると思っていた自分の甘さが情けなくて、それで泣けてくるのかもしれない。




これを書きながら、過去は過去、学んだことも多かったのだから、今は自分ができることをしっかりやり続けるだけだと言い聞かせている。自分を成長させるのは自分。振り返るのはやめて、頑張っていくことにする。