更新が止まっているブログが増えている気がする。

個人のブログの更新がいつしか止まって、寂しいなあ、もう更新しないのかなあ?と思うことがよくある。


更新が止まるのは、まあいろいろな理由が考えられるけれど、ひとつにはネタが尽きてしまうから書けなくなるというのはあるだろうな、と。前にも似たようなことを書いているのが自分でわかるとボツにしたくなる気持ちもわかるし、書いている自分もつまらなくて、最終的には飽きてくる。自分が書くものが面白いと思えなくなってくる。だからといって、奇をてらったことや過激なこと、釣りっぽいことを書くと、反響はあるけれど、批判的なコメントの波をかぶって、なかなかしんどいことになる。書き手はひとりで、読み手は複数。時には千とか万の単位になる。多勢に無勢?ひとりで、受け止められない自体になって、ブログを止めてしまうケースを過去何度も見てきた。


私自身もどうしてブログがここまで続いているのか、わからない。好きなことが書ける場をなくしたくない、手放したくないという気持ちもある。書くことそれ自体が楽しくて、どうせなら誰かに読んでもらいたい。それもある。自己表現の場、自分の存在を知ってもらうための場で、まあ読みたい人が読みに来てくれたらそれでいいと思っている。毎度似たようなことばかり書いているブログだけれど。



所詮一個人が書けることには限界がある。マンネリにもなる。似たようなことばかり書いているかもしれないけれど、よくよく読み返してみると、変化している。本当によく読まないと自分でもわからないのだけれど、変わった部分があって、そこがわかると面白い。


繰り返すけれど、一個人が書けることには限界がある。限界があるけど、でもそれは数字的なものではない。一ブログ記事という水槽の中の水の量は変わらなくても、注がれた水の質、成分、におい、味は毎回少しずつ違っている。温度も違っているだろう。温かいときもあれば冷たいときもある。限界はあっても、それで終わりではない。ずらっと並んだ水槽は圧巻だ。それらはずっと残る。水槽本体がなくならない限り、ずっと存在し続ける。その存在し続けるというのが大事で、消してしまえば、もう元には戻せない。


頑張ってブログを書こう、続けていこう!なんてことは言わない。無理しなくていい。書きたい人は誰かに言われなくても勝手に書くし、どうしたらブログが続くかも人それぞれケースバイケースで、簡単には書けない。むしろ、どうしてブログが続かないか自分なりに理由を考えてブログに書けば1記事として更新できる。そういう記事も有りだと思う。


面白い記事や興味深い記事を書いていた人が書くのを止めてしまうのは本当に残念だ。短くてもいいから、ふらっと更新してほしいと思う。