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『3月のライオン』11巻を読んで考えたこと

漫画 感想

3月のライオン』11巻を読んで考えたこと。
この先ネタバレしてますので、ご注意ください。




どうしようもない親というのは存在するもので、もし逃げられるのなら逃げるべきだと思う。逃げるのが難しいのなら、少しでも離れることだと思う。親には親の人生があって、それに子どもを巻きこむべきではないと思う。あかりたちの父親はあまりにも自分勝手だ。これは漫画の中の父親だけれど、現実にも似たような人はいるのではないかと思う。


親からの愛情を欲していても愛情を注いでもらえなかった時の欠乏感。それを埋められるのは、やはり愛情だと思う。桐山零のひなたへの想いは友情というより愛情に近い。桐山自身も愛情を十分に注がれて育ってきたわけではなく、愛情を渇望しつつも満たされない日々を将棋にぶつけ、将棋に集中することで忘れ諦めようとしていたのかもしれない。異様なほどに仕事にのめりこんでいる人を知っているが、その人もまた仕事に集中することで何か他のものを忘れ諦めようとしているように見える。代償行動というやつなのかもしれない。


3月のライオン』は連載開始当初読んでいなかった。理由は桐山零の家族が事故死しているのを何かで知ってしまい、これは相当ヘビーな話だと思ったからだ。読もうか読むまいか、迷った。人の死が漫画内で随所に現れるものは苦手だ。『3月のライオン』は2巻か3巻が出た頃、結局読むことになるのだけれど、どうして読もうと思ったのか、そのきっかけは忘れてしまった。忘れてしまったけれど、読んでよかったと思う。


「愛情を注がれて育った子は強い」というけれど、たとえ愛情を注がれることが叶わなくても、自分が誰かに愛情を注ぐことで満たされるということはあるように思う。誰もが愛情あふれる親になるわけではなく、子どもへの関心が希薄だったり、血のつながりがあるだけの親も存在する。子どもに迷惑や負担をかけ、親子という名目で縛りつけ、事細かく指図し、自由を制限する親もいる。こういう親からは逃げていい。逃げるという言葉に同意しかねるのなら、距離を置くと書いてもいい。近すぎるからぶつかり合いお互い不快な思いをするのだ。少し離れることで、ささいなことでぶつかることはなくなるし、お互い不快な気分になることも減らせる。今は逃げられなくても(離れられなくても)いつか自分で自立するよう何か策を考える。誰かを頼ってもいい。ひとりでどうしようもなければ誰かに相談することだ。『3月のライオン』の桐山零が見事にあの父親を撃退したように、誰か助けてくれる人はいるはずだ。


つらいとき、どうしようもないとき、助けを求めていい。あまりにシリアスに打ち明けると、ひいてしまう人もいるだろうから、相談機関に相談してみるとよいと思う。聞いてもらうだけでも落ち着く場合もあるし、他者から見た客観的なアドバイスをもらえるかもしれないし、ひとりで悩み自滅したり自暴自棄になるのがいちばんよくないと思う。


親が子どもを選べないように子どもも親を選べない。世の中愛情あふれる素晴らしい親ばかりではない。あかりたちの父親のような親もいる。そんな親に振り回されないようにするには、精神的に自立することと経済的に自立することが必須だと思う。自分の人生、自分の生活は自分で守ること。まあこう書くのは簡単だけれど、実際に実行するのは難しいというのも分かっている。簡単に親から逃げられない、トカゲが尻尾を切るようには切り捨てられないということも。でも、あかりたちは決断した。彼女たちが泣きながら餃子を食べるシーンは何度読んでもこみ上げてくるものがある。




あかりやひなたは桐山零と出会うべくして出会ったのだと思う。お互いがお互いを必要とし、これからも物語は続いていく。『3月のライオン』続きが楽しみだ。