「経験は宝」

経験は宝だと思う。
今日とても嫌な経験したのだけれど、経験してしまうと経験してよかったと思えるようになった。自分でも驚くくらい立ち直りが早かった。精神的回復力は年をとってからのほうが昔よりあるように思う。図太くなったというか、ブレなくなったというか、落ちこみや嫌な気分を長々と引きずらないのは、良いことのように思う。


嫌な経験をしたので、次からは気をつけるし、同じ轍は踏まないようにするので、賢くなったとも言える。いろいろ賢くならないと生きていくのは大変なのだなと思うとともに、賢くなろうと自分で意識しないと賢くはなれないだろう、とも思った。


どうすれば賢くなれるのだろう?本を読んだり情報を集めたりすれば賢くなれるだろうか。手っ取り早い方法ではあると思うけれど、本を読んだり情報を集めたりしていろいろなことを知っても、それは他者の経験を覗き見しているにすぎないのではないだろうか。しかも他者のバイアスがかかったものをさも自分が経験したかのようなに感じてしまうこともしばしばある。そして、いろいろなことを見て知ったつもりになる。実際は誰かが書いたものを読んだだけで、あれこれ偉そうなことは言えないのに、あれこれとコメントしたり批評したり、まあそれも言論の自由だと言われればそれまでだけれど、どんなことも本当に経験した人には敵わないと思う。


経験は人を変える。良い方向に変えることもあるだろうし、悪い方向に変えることもあるだろうけれど、何が良くて何が悪いのかはその人の価値観によるので一概には言えない。一概には言えないけれど、どんな経験も後々自分にプラスになると考える。嫌な経験もつらい経験も、ずっとずっと後になれば、耐え、乗り越えたことを褒めていいし、昔より強く賢く、優しくなっているはずだ。


どんなに気をつけていても嫌な気分にさせられたり、失敗したりということはある。挫折を味わうときもある。特に不幸な出来事や挫折に関しては、「どうして自分だけが……」と考えてしまいがちだけれど、意外と他の人も同じような(似たような)経験をしていると思う。ただ恥ずかしかったりプライドが邪魔して言葉にしないだけだと思う。その「言葉にしない」というのもその人の自由なので、他の人がとやかく言うことではない。


話を戻して、経験について。
「経験は宝」とタイトルに書いたけれど、経験に殺されるようなことはあってはならないと思う。うまく書けないけれど、嫌な経験、挫折の経験、それに引きずられて、自滅することだけは避けたい。何がなんでも経験をバネに頑張れとは言わないし、私もそれはできない。頑張れるときは頑張れるし、頑張れないときはどうしても頑張れない。それでよいと思う。休養が必要なときもあるし、疲れたままで動き続けるほうが問題だ。


昔の自分は「生き急いでるなあ」と自分でも思っていたけれど、今は生き急ぐ必要はないと思っている。「経験は宝」といっても闇雲に経験値稼ぎに精を出そうとも思わない。自分の体力とも相談しないといけないし、なにしろ途中で倒れてしまっては元も子もない。倒れないこと、これは最重要課題だ。


まだ書きたい気持ちもあるけれど、長くなってしまったので今日はこのへんで。