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「相手の言うことにも一理ある」と考えると、イライラ・モヤモヤが消えた。

人の数だけ考え方がある。まぁ頭ではわかっていても、「なんでそんな風に言うんだろう?」「どうしてそういうやり方でやるの?」と思うことが仕事でしばらく続いていた。


「考え方の違い」と書けばシンプルそうに見えるけれど、ふたつの考え方には深い溝があって、お互い相手の真意をつかめないでいて、「本当のところどう考えてるの?」とお互い言い出せないでいるみたいな、そういうことは私の場合よくある。


率直に意見や考えていることをばんばん言ってくれる人だとよいけれど、なかにはそんなにオープンにはしない人もいるもので、そういう人は、小出しに出てくる言葉を汲み取るしかない。無理に聞き出そうとしないこと。自分のパーソナルスペースに踏み込まれることを嫌う人や他者の言葉で心の安寧をかき乱されたくない人もいる。わたしもそういうタイプなのだけれど、自分が無遠慮に踏み込まれたくないからこそ、わたしも遠慮する。波風を立てたくないし、立てられたくない。


とはいえ、仕事だとそうも言っていられない。小出しにしながらも、「どうして?」「なんで?」と思うことは出てくる。


理由を直接聞ければいいのだけれど、直接聞けない場合もあるし、相手がうまく言語ができない場合もある。そういうときは、相手がそうする理由を想像することにした。どうして、そうするのか。一体何を目的にそうするのか。その人はどうしたいのか。その人が見据えているゴールを想像してみる。もしかしたら、そのゴールはわたしが思うゴールと違うかもしれない。


実際、違った。相手が見据えているゴールは、わたしが思い描いていたゴールよりもはるかに上のゴールで、なんというか、わたしは自分の近視眼的な視界を恥ずかしく思い、うなだれてしまった。目の前のことをこなし、とにかく先を急ぐことしか考えていなかった。


「相手が言うことにも一理ある」
相手も考えて仕事をしている。むしろ、自分よりももっと俯瞰的に全体を見て、仕事をしている。相手が見据えたゴールがわかって、わたしは相手のやり方を尊重しようと思った。むしろ、そのやり方のほうがよいと思った。やっとイライラ・モヤモヤが消えた。


相手の言うこと・することの背景、見据えているもの(ゴール)を想像するようにしようと思った。変に勘ぐってもよくないけれど、でも相手には相手の考え方や事情があるのだから。