意見を認めようとしない人について考えてみた

なんといいますか、私に対してだけではないと思うのですが、発言した意見を認めようとしない人がいて、必ず反論的な意見を頂戴します。最近はその人と話すのも億劫になっていて「どうせ話してもアレコレ否定的なことを言われて、最終的には相手の意見をねじこまれるだけだしなあ」とウンザリするパターンの繰り返しだったりします。


私の意見が未熟だとか、くだらないとか、そういう風に思っているのかもしれないし、自分の意見の方が優れている、経験的にも実力的にも自分の方が上だと本人も思っていて、まあそれは否定しませんが、でも下の者の意見をそう簡単に潰していいものなのかと思うわけです。とりあえず聞くは聞くけど、でも認めない、採用しない、検討にも値しない、みたいな態度は、反感を買います。そのことに本人は気づいているのか、かなり疑問かな。


薄々気づいていても、でも曲げられないんだろうと思います。自分の意見ややり方を。それまでのキャリア(経験)や自分の職人的な気質が他を認めたくない、部下は黙って従って、結果だけ報告すればよし、みたいな。


まあ黙って従ってやることだけやっていればいいというのは、楽ではあるけれど、なんというか、仕事をしながら感じる違和感は、もう溜まっていくばかりで、だからこそ意見するわけですが、「いちいちうるさいなあ」とか思われていそうで、でもまあ仕事なので、やはり言うべきことは言いますね。言って認められないとしても、それでも言う。そういうスタンスはブログを書き続けていることで身についたかもしれません。


そのうち真っ向から対立することになるのかな、とも思いますが、波風をたてるのは好きではないので、その時は適当に折れます。折れるのは嫌ではないです。相手を打ち負かして、以後険悪な関係になるよりは、一歩引く方を選びます。


対立する意見といっても、どちらが本当に正しいかわからないことはよくあります。ずっと後になってわかることもあるし、どっちもどっちだった(どちらも正しくなかった)ということも。


他者の意見を認めようとしない人は、たぶん今、余裕がないのだと思います。簡単には認めたくないとか他者の意見に従えないプライドがあったり、自分の意見、やり方に自信や確信があったり、それはその人を支えるものでもあるので、他者は否定してはいけない。たとえ、砂の楼閣であっても、それを他者が崩していい理由はない。


余裕がある人は、自分の意見があってもそれを押しつけたり、ねじこんだりはしないんじゃないかと思います。相手の意見をうまく取り入れつつ、かつ自分の意見ややり方も継承させるような、まあ理想論でしかないかなあ。やっぱり少しは私の意見も聞いてほしい、認めてほしいと思っているのかもしれません。


長くなってしまったので、このへんで。