相手のことを考えながら説明するということ

相手がどれくらい知っているかとか、どれくらい知りたいと思っているか、そのあたりを見極めておかないと、説明してもわかってもらえない、説明が徒労に終わるというのは、何度も経験してきた。


専門用語を知らない相手に専門用語を使うのはできることなら避けた方がいいし、もし仮に使わなければいけないなら、専門用語の説明をしなければいけない。


相手はこれくらい知っているだろうと思って話していたら、全然知らなくて、キョトンとされたこともある。


実は私は説明は苦手だ。言葉だけで説明するのは限界があると思うし、むしろ絵に描いたほうがわかってもらえる場合も多々ある。


私は絵を描くのは好きだし得意なほうだと思うけれど、でも、その絵を見てわかる人ばかりでもなく、絵を見て判断、解釈するのが苦手だという人も実際いる。絵自体がわかりにくいとか、下手だとかそういう場合もあるけれど、絵が意図することを汲み取れない人、意図することを曲解してしまう人がいるのも確かで、絵が説明伝達の万能ツールでないことを最近思い知らされたばかりだ。


どうすれば、相手に伝わるのか、わかってもらえるのか、考えこんでしまう日々が続いている。長々と説明されてうんざりしてしまう人がいる話は最近ブログで書いた。一方で、言葉が足りなくて伝わらないこともあるし、言葉が足りなかったせいで相手が的外れな憶測をしてしまうこともある。よくわからなかったことを勝手に想像で補足して解釈理解してしまうというのは、まあ私も時々してしまうことなのだけれど、そういうとき、だいたいその解釈は間違っている。想像は事実とはたいてい違うものた。少ない情報で理解するのは難しく、誤解を生むものだと、これもまた最近思い知らされたことだ。


ともかく、伝えたいのであれば、相手のこと、相手の状況、相手の知識の有無など、考えながら説明するしかない。説明の順番も大事だし、もしかしたら結論から先に言ったほうがいいケースもあるだろう。また、相手が欲している説明かどうかも気をつけたい。わかっていることを延々と説明されるのは苛々するもので、的はずれなことを説明されるのも苦痛のなにものでもなく、説明の最中、相手の反応、様子をよく見るのは大事なことだと思う。そして、上から目線で説明していないか、早口になっていないかも気をつけたいところ。


相手のことを考えながら説明するということ。
それは、なかなか難しく、奥が深いことだ。
うまく説明できなくて、凹むこともあるかもしれないけれど、それでも言葉を使って、時には絵を使って、めげることなく説明していきたい。