失敗が見えない足枷(あしかせ)となるということ

だいぶ前の失敗が、今なお見えない足枷(あしかせ)となって、先に進むことを邪魔していることに気づいた。


一度の失敗であっても、周囲の目は自分が思う以上に厳しい評価をくだすのだなあと思うとともに、一度ついたこの厳しい評価を変えるにはどうしたらいいのだろう、もしかして、もう変えられないのかな、とも思ったりする。
私の場合、その失敗は自分の精神的な弱さが招いた失敗で、もしあの時、強く決して譲らない態度でいれば、事態は変わっていたかもしれない。まあ今更どうこう言ってもしょうがないのだけれど。


失敗やトラブルというものは、自分のウィークポイントが発端になることが多いように思う。
自分のウィークポイントをどうにかして克服したいと心の底から思う。とはいえ1日や2日で克服できるわけはないので、時間をかけて改善していくしかない。


あらためて、自分についている足枷(あしかせ)に気づいて、それでなおさら動けなくなりそうにもなるけれど、逆にどういう厳しい評価がつこうとも、自分がやれることを精一杯やるしかないとも思う。落ちこんでも状況は変わらない。いろいろなことが自分が思うとおりになると思うのは、ものすごい思い上がりで、思うとおりにならなくても、「まあそんなもんだよね」くらいの気持ちでいたほうが、精神的に楽でいられるかもしれない。


今更なのだけれど、自分のウィークポイントがこれから先も私自身を苦しめることになりそうで、頭を抱えている。ここはひとつ50mプールの水を総入れ替えするくらいのつもりで、自分のウィークポイントに向かいあう必要があるだろう。


そして、こうも思う。過去の失敗が足枷(あしかせ)となっているけれど、まだ動ける。動けるのだから、幸いだ。動けば、また新しい道が見つかるかもしれない。というか、見つけようと思う。評価は評価。今更どうしようもない。大事なのはこれからだ。失敗しない人はいない。誰でも大なり小なり失敗しているもの。そう思うと少しは気が楽になる。ガチガチに肩に力が入ってそれで失敗すること、うまくいかないこともあるわけで、まあ、いつも書いていることだけれど、あまりシリアスに考えすぎないのが一番よいのではないかと思う。


長くなってしまったので、今日はこのへんで。


好きな音楽を聞いて、好きな漫画を読んで、それから寝ることにしよう。