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相手の感情を考えるということ

相手の感情を考えずに、つい言ってしまうことがないだろうか。
いわゆる余計な一言というやつを。
あるいは、できれば言わずに心にとどめておいたほうがよいと、自分でわかっていたのに、気づいたら口にしてしまっていたとか。


こういうことを言ったら、相手の感情を害するだろうな、と予想し、また99%確実に害するとわかっていて、それでも言ってしまうのは、一体どういうことなのだろう。


言いたいことは言う権利がある。
それも一理ある。


しかしながら、言ったあとで、自分にとって利益があるかというと、むしろ逆で、「しまった」「言わなきゃよかった」と後悔の念に駆られ、相手との関係も苦しいものになることが本当に多い。嫌われたり、嫌いを表にはださないけれど、無言で距離をおかれたり、あるいは敵対心をもたれたり。相手の感情は相手のもの。相手に感情は、そう簡単に収拾がつくものでもなく、あとで謝ったとしても、果たしてどこまで関係を修復できるのかと考えてしまう。


言いたいことを言うとき、そこに愚痴や不満や相手を卑下するようなそんな気持ちがあると、言われたほうは確実に気分を害する。相手の気分を害させて、それでよい気持ちになるのは、褒められることではない。愚痴や不満の吐き出し先が特定の個人となると、なにかしらの問題(トラブル)の勃発につながるだろうし、さりとて、愚痴も不満も言えないとなると、自滅、自爆という可能性もなきにしもあらずで、さてさて、どうしたものだろう。日記などに、こっそり書き綴り、吐き出すのが、特定の個人を傷つけず、それでいて自分はすっきりする方法、と言えなくもない。まぁ果たしてそれで本当にすっきりするかどうかは、個人差があると思うのだけれど。


なにものにも囚われず、「まぁどうでもいいよ」という境地になりたいと思うことが度々ある。「こまかいことはどうでもいい」「だいじなことは他にある」と。
自分の感情くらい自分で律して(コントロールして)、やたらと他者の感情を揺さぶるようなことを言わないようになりたいものだ。良い意味で揺さぶるのであればいいけれど、ネガティブに揺さぶり、害することがないよう気をつけたい。