頑張るとか努力するとか

ふと、頑張るとか努力するとかってどういうことなんだろうと思ってしまった。


勉強でも仕事でもなんでもそうだけれど、嫌々やっていたら続かない(苦しくなる)もので、好きだから、楽しいから続くというのはある。続く、継続する(継続できる)というのと、頑張るというのは、もしかしたらちょっと違うのかもしれない。


「頑張る」というのは、つらくても、本当はしたくないけど、でもやらないといけないから、あえて宣言して「頑張る」みたいな、そういうニュアンスを感じてしまうところがあって、例えばダイエットとか節約とか就活とか受験勉強とか。でもまぁ、好きとか嫌いとか言っていられなくて、やらないといけないからやるしかないこともあって、そういう種類のものは、淡々とやるのがいい。いちいち好きとか嫌いとか感情を動かすのもわずらわしくて(めんどくさくて)、これは年をとってきたせいもあるだろうけれど、感情が揺れ動けば揺れ動くほど疲れるもので、ゆえに感情に振り回されて疲れたくない、いつも一定の、ニュートラルをキープしていたい、というのがさまざまなものの影響の結果自分の中に棲みついている。なんというか、別の言い方をすれば、冷めてきている(醒めてきている)ということかもしれない。まぁ、単に疲れすぎて感情が麻痺しているという説もある。一日に一回くらいは声を出して大笑いしたいものだ。



さて、頑張りとか努力の話にもどそう。
努力の量とかどれだけ頑張っているかとかそういうのは一概に簡単に数値化できないものだったりする。他者と自分を比べるのもしかり。自分では頑張っているつもりならそれはそれでいいし、わたし個人としては、なんというか、頑張っているつもりで、そう、まさしく「つもり」にすぎなくて、自己満足のレベルの努力量だったんじゃないかと。もっとも自分で満足しているならそれでいいじゃないか、という説もなきにしもあらずなわけで、自己満足がいいとか悪いとかそういう評価は横においておく。


たぶん、今つらいと思うのは、頑張りに対して結果が出ていないからで、まだまだ頑張らないといけないのか、と思ってゾッとしたり。


珍しく立ち止まって、振り返ってみたところで、「今まで何やってたんだろ」と思っている自分がいる。


これまで何もしてこなかったわけじゃない。
そのときそのときやれることをやってきたじゃないか。
そう自己弁護して、これまでの自分を否定しないことで、少し自分というものを正面から見れるような気がしてくる。これまで外へ外へと意識を向けてばかりいて、自分について考えることがほとんどなかった。考えるよりも動くこと。頑張ることのほうが価値があること。そう思っていた節がある。


自分の特性にあった仕事をするのは、楽しい。いわゆる向いている仕事だ。
でも、向いていないと薄々わかっていながら、だましだまし頑張らせるというのは、ストレスを溜め続けることに他ならず、頑張れば頑張るほどつらくなる。本当は逃げ出したいのに、逃げ出すという言葉がネガティブなせいで、逃げられずにいる。そういう人は意外といるのではないだろうか。まぁこれは私の経験でもあるのだけれど、頑張っても、いくら頑張っても自分には無理だ、つらいと思ったら、逃げるのが自分を守るための正解だと思う。自分を守れるのは、やはり自分しかない。


一方で「あれだけ頑張ったのに」と踏ん切りがつけられない場合もあると思う。


続けるための努力、頑張りというのも確かにある。頑張りなしでは継続できないということもある。
あるいは、今は苦しくても、続けていれば、結果は出るだろうか。その結果というのは、自己満足ではなく、誰かに認められる、認めてほしい人に認めてもらえる、そういうことかもしれない。


結局は、承認。承認欲求が満たされなくて苦しいのかな、と思ったところで、今日はこのへんで。

暁美ほむらは明日から頑張る! (まんがタイムKRコミックス)

暁美ほむらは明日から頑張る! (まんがタイムKRコミックス)

がんばっても報われない本当の理由

がんばっても報われない本当の理由

ヤミーのがんばらない毎日ごはん (TJMOOK)

ヤミーのがんばらない毎日ごはん (TJMOOK)