人生は映画のようにはいかないけれど

毎日過ごしている場所が世界の中心に思える
何も変わらずに続くと感じる


人生は映画のようにはいかない
人生はもっと難しい


ニューシネマパラダイスアルフレードの言葉


以前見たと思っていたのに、内容がいまいち思い出せなくて、今一度見ようと思って見たら、どうやら初めて見る映画だったようだ。
有名な映画で、ストーリーもどこかで聞きかじっていて、見たつもりになっていたのかもしれない。


冒頭のアルフレードの言葉がずしりと底を打った。重い鉄の塊が船を海底へ押し沈めるかのように。


人生は映画のようにはいかないとか、ドラマみたいなことは起こるわけないとか、そんなことを自分の中に定義してしまうと、実際そのようになっていくのかもしれない。何者にもなれない平凡な人生、それが普通の人生=自分の人生だと。ものすごく幸せでもないし、ものすごく不幸でもない。「ま、こんなもんか」「ま、こんなもんだよね」と自分を納得させて、なんというか、「平凡なのが一番」「普通がいい」とかそう思うことで救われるように仕向けている自分もいるようでいないようで、実際のところ、「平凡て何?」「普通って何?」と眉間に皺を寄せながらツッコミを入れる自分もいて、曖昧模糊のまま現在に至っている。


すべてのものは変わっていく。少しずつ、変わっているのに気づかないくらいの速度で変わっている。もちろん、いきなりガラリと変わることもあるのだけれど、おおむね基本的には少しずつ変わるものが大半だと思う。自分の意に反して変わってしまったものを受け入れるのは、つらいことだ。自分を取り巻くものがずっと変わらずに続くと思うのは、自己都合による思い込みで、どこかで聞いたことがあるけれど、人は見たいように見、自分の視点、メガネをそうクルクルとは変えられない。否、実は少しずつ変わっている。影響を受けたり、成長したり、新たな視点が加わったり。複雑に変性して、グルグルと脳内を逡巡する。私は最近特に思う。考え方や価値観、先入観、自分の中の常識、感覚、それら長年染み付いたものに思考を縛られているなぁと。


身体が薄い皮で覆われて形を保っていられるように、その人固有の価値観や考え方なしにその人の思考活動が成立しないのだとすれば、それらは縛られるというネガティブなものではなく、むしろ思考活動に必要な「循環する血液のようなもの」で、時折血が濁り、それで精神的に行き詰まり、自暴自棄になったりするのかな、と。ゆえに、濁った血を自分で浄化する方法を知っておくべきで、それをストレス解消とか息抜きとか気分転換とかそういうのかもしれない。まぁなかなかストレス解消というのも簡単にできそうでできないもの。ストレスが溜まるという言葉を覚え、その感覚を自覚してしまっているから、解消したはずのストレスは、いつしかまた溜まっていく。もし「ストレス」という言葉を知らなかったら、ストレスを自覚することはなかったのかもしれない。

選んだ道を愛するんだ

ニューシネマパラダイスアルフレードの言葉


ものすごくつらいことがあったとしても、最終的にはそれを受け入れるしかなくて、腹をくくると(開き直ると)強くなる。もう今更あとにはひけないし、とにかく今自分ができることをやるだけだ。(これは昔からこのブログにも書いていることで、結局のところ、そこに行きつくのが私の思考パターンなのだと思う)


人生は映画のようにはいかないけれど、それでも自分で道を選んで、試行錯誤して、そして、アルフレードの言葉のように、選んだ道を愛することができたら、それはすばらしいことだと思う。


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