沼のような気分のまま、私は本屋へ駆けこんだ。

先日、自分では、どうにもならないことで凹んで、座りこんでしまった。
どうにもならないことなのだから、あきらめるしかないのだけれど、その時点ではとてもあきらめられるような気分ではなく、自分の無力さとか、どうにかしたいという苛立ちの沼に引きずりこまれて、身動きがとれないでいた。


数日経って、状況はほとんど変わらないのだけれど、気分的には落ち着きを取り戻しつつある。
どうして落ち着きを取り戻しつつあるのか。


ヒントは本屋。


凹んで、座りこんで、もう一歩も動けそうになかったのだけれど、こういうときこそ、好きなことをしたほうがいい。
なにが好きか。
わたしは本を読むのが好きだ。
本屋で本を見てまわるのが好きだ。
大型書店なら、何時間でもそこに居られる。
一度開店から閉店まで、大型書店で過ごせたら、さぞかし満足する1日になるだろう、と考えている。


沼のような気分のまま、私は本屋へ駆けこんだ。
そして衝動的に本を買った。
好きな作家の本を。

なにものにもこだわらない

なにものにもこだわらない

なにものにもこだわらない

なにものにもこだわらない


237ページの本だけれど、もう何度も繰り返し読んでいる。

本の内容は、抽象的なことが多いのだけれど、抽象的だからこそ、自分のことのように考えられるというのはある。
私のブログもそうだけれど、具体的に凹んだ原因、事柄は書かないけれど、誰だって凹むことはあるだろうし、また多くの人は、凹みから回復したい、なんとか立ち直りたいと思うのではないだろうか。抽象的な文から自分なりの解釈をして、自分なりの考えを得てほしいと思う。


凹んだ時、元気がない時、私は本屋へ行く。そして直感で、衝動で、読みたい本を買う。
今回は、たまたま好きな作家の新刊を手にしたのだけれど、やっぱり好きな作家の本は安心して読めるから好きだと妙に納得している。



過去、ものすごくこだわる自分がいた。
それは苦しいことだった。(今思うと)


こだわること。こだわりがあるということは、当時良いことだと思っていたけれど、今はちがう。
できるだけ、こだわらない方向に自分をもっていきたい。
そもそも、まったくどんなことにもこだわらないでいられるというのは、土台無理なことだろうし。


もっともっとこだわらない自分になりたいと、そう思う。
自由に。
もっと自由に考え、動けたら、と。


なにものにもこだわらない

なにものにもこだわらない

なにものにもこだわらない

なにものにもこだわらない

こだわること、こだわらないことについて考える参考になる本です。