鈍感さと繊細さ


「鈍感力」渡辺淳一

鈍感力

鈍感力

この本は発売されてすぐ読んだ。




今日、久しぶりに読み返してみた。

鈍感力。





そういえば、森博嗣も本の中で鈍感について書いていたことがあったなぁと思い、

探してみた。

まどろみ消去」だった。

なんといっても、鈍感さほど強力な武器はない。鈍重さほど攻撃的な能力はない。


鈍感さほど強力な武器。なるほどなぁと今になって思う。


まどろみ消去 (講談社文庫)

まどろみ消去 (講談社文庫)





物を書く者(文章を書く者)としては、

いわゆる鈍感になってしまうことが何より怖かったりする。

泣くということ

感動するということ

おおーすげーということ

そういったことを感じなくなってしまうことがなにより怖い。

感じること考えることが億劫になってしまったら、

いい文章は書けないように思う。




石田衣良の「アキハバラ@DEEP」の第5章にも

ページの台詞で

そこでぼくは、いい文章とはその人の心の動きをなるべくいきいきと再現した文章なのではないか、
と単純に考えるようになった。

とあり、この部分にすぐさま付箋をつけたのを思い出す。


ページの台詞は続く

ためらいやだらしなさ、それにあるとき突然やってくる発見や至福のとき。
立派でも正しくなくても、美しくなくてもいい。
心のおもてを流れる電磁パルスのような生のきらめきを表現すること。
心の弾みをいきいきと紙の上に映すこと。
ぼくにとって素晴らしい文章を計る基準は、そこにおかれることになった

アキハバラ@DEEP」の中で好きな文章だ。
(抜粋だけでは、うまく伝わらないかもしれないが)


どうせ表現するのなら、言葉を尽くして丁寧に表現したいと思う。
そのためには、やはり感覚を研ぎ澄ませて、繊細でいるべきなのかもしれない。


んー別に素晴らしい文章を書こうとか、思っているわけではない。
わかりやすい文章を書こうと、ただそれだけだったりする。

アキハバラ@DEEP

アキハバラ@DEEP



話を戻して、

鈍感になってしまうことが何より怖かったりするけれど、

かといって自分が繊細かというと、そうでもないように思うw



年を取るにつれて、

一種の鎧としての鈍感さ」を身につけるようになったように思う。



一種の鎧としての鈍感さ。

私はかなり細かいところまで人間観察はしているのだけれど、

見て見ぬフリをすることも多い

すべてに反応していては、疲れてしまう。

滅多に怒らないし、

寛容というか鷹揚というか

ちょっと鈍(どん)くさいくらいでいいんじゃないかって思っている。




繊細というのは、鈍感よりもいいイメージでとられるものだけれど、

繊細なだけでは生きていくのがしんどくなってしまう。

ある程度の鈍感さを持っていないと

社会では生きていけないように思う。



西原理恵子の「毎日かあさん3(背脂編)」に

こんなかあさんのモノローグがある。

上等な私立を卒業したって 世間は上等な私立じゃねえんだよ

確かにそうだと思うw



毎日かあさん3 背脂編

毎日かあさん3 背脂編




んー要するに

鈍感さと繊細さのバランスなのかな、と思う。




あらゆるものに対して鈍感になってしまえば、

それはある意味、楽かもしれない。

生き残るためには、生きやすくするには、鈍感さも必要。




んー、でもいくら鈍感さが必要とはいえ、

人間的な感情であるとか感覚であるとかそういったものまでも

忘れてしまう(どうでもよくなってしまう)のは、

なんともやるせないなぁと思う。



やはり繊細な部分も持っていたいなぁと思う。

ふと心の琴線に触れ、

あるいは感情が高まって、思わず涙が出てしまうような、そういう自分も大事にしたいなぁと思う。